■ 『北条・空の回想【自分の名前】』


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 《A.A.0085.中立コロニー「レフィト」・墓地》
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大きな花束を抱え、墓地の中を少年が歩いている。
シンプルながらも品のある包装をされた大きな花束を抱えて歩くその姿は、
この静かな墓地において多少目立っていた。
やがてある墓碑の前まで来ると花束を置き、静かに呟く。

「ただいま。」

声はどこか悲しげに聞こえ、少年の表情は胸中に様々な情念が
入り混じっているのか、複雑な表情だった。

少年の名前は「北条・空」、
少しウェーブがかった黒髪に黄色のサングラスが特徴のニューエイジだ。
ここは彼にとっての始まり。彼の歩みの第一歩となった、始まりの場所だ。
今からの物語はその始まりについての物語だ。


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 《A.A.0024.コロニー「レフィト」・第二公園》
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居住コロニー「レフィト」。
外宇宙に送られた開拓民が建造した中型のコロニーだ。
初期に建造されたコロニーではあるものの、その設計の優秀さ故、
比較的暮らしやすい良きコロニーという評判だ。
実際治安も良く、コロニー間の流通の中心近くにあるために、
様々な品物が揃うので訪れる人も多い。
特にこの第二公園は人工太陽の当たりやすい場所に建設され、
昼時の現在はとても暖かい陽気に包まれていた。
昼時の公園は大きく賑わっており、親子連れが笑顔で遊んでいたり
昼休みかサボりに来ている会社員がほっとした顔で一息つくなど、
様々な表情を見せていた。
その中でベンチを丸ごと一つ占領し、寝転んで眠っている人間がいる。
この人物こそ「北条・空」だが、今はまだその名前ではなかった。

「……ん…。」

心地よく眠っていた彼は腹部に重さを感じて瞼を開く。
見れば、仰向けに眠っていた彼の腹の上に一匹の猫が乗っていた。
彼の腹の上で日向ぼっこでもしようというのか、彼と目を合わせても、
にゃあ、と一つ鳴くだけで離れようとはしない。
彼も気にしていないのか、少し頭を撫でてやると猫と共に再び眠りに落ちようとした。

「おい!何二度寝しようとしてんだ!起きろ!」

が、直前で彼を起こす声が響いた。
ふぅ、と息を吐いて猫を抱きつつ起き上がると、声を出した人物に目を向ける。
四十前半の男で、長めの黒髪が汗に濡れて光っていた。
細身ではあるが、半袖の服から覗く両腕は引き締まっており
まだまだ力が漲っていることを伝えてくる。

「何ですか。うるさいですよ、ショウさん。」
「開口一番がそれかよ…まったく…。」

フルネーム、北条・ショウ。
無名のペーパーチームのブレイカーだ。
チームといってもショウ一人しかいないのだが。
高めのアーレント適正を持つヒューマンだが、
《ギルド》やA.U.Gからの評価は良くも悪くも程々といったところだ。

「V、もうちょい愛想良くしたほうがいいぞー?お前顔は良いほうなんだからよ。」
「大きなお世話です。」

V、というのは「北条・空」の昔の名前だ。
二年前、彼は後のエウロパ新帝国となるA.U.Gの改革派の人体実験施設から脱走し、
奪った小型船の燃料が尽き漂流していたところをショウに拾われた。
名前を聞かれたとき、彼は答えられなかった。実験施設に入る前の記憶は消去され、
断片的なことしか思い出せず元の名前まで思い出すことは叶わなかった。
仕方なく実験施設にいた頃の名前、
いや記号だった「V」を名乗りそれをこの時は名前としていた。
拾われてからはショウの仕事を手伝う日々が始まった。
きっかけはショウが衣食住は提供するから手伝ってほしいと言ってきたからだ。
この時のVには行く当てもなければ、特に生きる目的もなかった。
それどころか《ギルド》にブレイカーとして登録するため
身分証明のできる生体データもなかったので、
ショウからの提案は非常に助かることとなった。
Vができることなど戦闘以外にはなかったが、
この世界ではハッカークラスでもないブレイカーはその身を
危険な前線に出して稼ぐくらいしか道はない。
特にショウは大雑把すぎる性格なため、
猶更暴走したアンドロイドやテロリストの鎮圧などの依頼を受けることが多かった。
そうなれば自然とVの高い戦闘力は活かされる。
Vは《ギルド》には登録されてない、
したがって彼に関する情報も少なく言わば「見えない戦力」としてショウをサポートしていた。

「で、何かあったんですか。」
「何かあったわけじゃないが…、いってきます、くらい言えよなほんと……。
 起きたら飯しか家に置いてなかったらお前も慌てんだろ?」
「起こしたのに二度寝した人が言いますか。」
「まぁ、そう言うなって。いくつか面白い話があんだよ。」

隣に座りつつショウは勿体ぶりながら言う。
こういう時はたいてい依頼の話だ。
ついでに割りに合わない話の確立も高い。

「まぁ、昼飯喰いながら話すさ。そこのファミレスで何か喰おうぜ。」
「いいですよ。オムライスあるかな…。」

まだサングラスを着けていない青い瞳を期待に輝かせつつ、Vはショウに付いて行く。
傍から見れば、それはまるで親子のようだった。


《同年.ショウの生活拠点艦》

昼食を取った後は拠点にて情報収集を行った。
バックに何もないブレイカーだからこそ情報は自分たちの収集能力が物を言う。
特に依頼に関することは、だ。

「ほう、こいつは面白いな。」
「何かありましたか。」

珍しくショウが何かいい情報でも見つけたのだろうか。
そう思いつつVはショウの見ていた端末の画面を覗きこむ。
画面には茶色の肌をした青年がいた。端整な顔立ちだが顔の所々に機械の部分が見える。
恐らくアンドロイドだろう。

「最近、意思を持ったアンドロイドやガイノイドが増えてるらしくってよ。
 この男はその中核にいるアンドレイターだそうだ。」

その話は最近A.U.Gが気にかけている問題だった。
ここ数年、普通なら人間に従うだけの存在だったアンドロイド・ガイノイドが、
何らかの原因により意思を持って人間へ反旗を翻したり
行方を眩ませたりする事件が頻発していた。
特に多いのが、いつ破損してもおかしくないような環境で労働しているアンドロイド、
持ち主のストレス解消でボロボロに虐待されるガイノイドなどだ。
機械種が自らの意思に目覚めるにはアーレント結晶との接触が不可欠らしいので、
頻発するということは何らかの原因があると予想されていた。

「賞金首にでも指定されましたか?」
「いんや、まだ要注意対象っていうだけだな。それにこいつがいるのは地球らしいし、
 賞金首になろうと俺たちじゃあ地球への渡航費だけで家計が吹き飛ぶぜ…。」

ショウが深い深いため息を吐く。
家計の状態は常に火の車、という訳ではないが、
少しでも仕事を怠れば一気に逼迫するであろうギリギリの状態だ。
常に依頼を探しつつ、確実に達成せねばブレイカーは即飢え死にだ。

「ま、でもさ。かっこいいよな、こいつ。」
「確かにアンドロイドにしては、イケメンに造形されてますね。」

アンドロイドは基本的に労働用か戦闘用だ。
そのため顔に関してはたいてい適当な感じか、一目で機械とわかるような造形が多い。
しかし、ショウは違う違うと手を振る。

「生き方が、さ。自分の意志で、自分のやり方で世界と真っ向から向き合うなんて、
 人間だってどれだけの奴らができるかねぇ。」

心底感心しているらしく、ショウの目には尊敬の光があった。

「血が通ってなかろうが関係ねぇ、こいつにはちゃんと命と覚悟があるんだな。」

普段は飄々としていて見せないショウの表情だ。
普段はいい加減だが、敬意を払うべき人間には最大の敬意を払い、
虐げられる人間がいれば全力で助ける。
彼にはそんな魅力のある面があった。

「Vももうちょい主体性をつけろよー?
 誰かの言うこと聞くだけじゃ生きてるとは言わねーぜ?」
「うっさいです。」

ただの利己的な人物であればVも金だけもらって早々に行方を眩ますつもりだったが、
ショウはそんな必要がないほどお人好の人間だった。
そんな人間だからこそ、Vは彼の元を離れないでいるのだ。
口では反発した言葉を取るが、VもVなりにショウを尊敬していた。
そんな、中端末に《ギルド》からのメールが届いた。

「お、都合良く依頼の話だな。」

《ギルド》に登録されているブレイカーには仕事の斡旋メールが来る。
必要な情報や依頼人との仲介、交渉までサポートしてくれるため、
《ギルド》に登録することが正式なブレイカーになるということでもある。
今回宛がわれた依頼の内容は、
資源採掘小惑星に住み着いたある惑星の原生生物の駆除だった。

「事故で運送してたコンテナに積んでた原生生物が、
 運悪く小惑星に落ちてそのまま住み着いたねぇ。なんともマヌケな話だな……。」
「虫っぽいのじゃないですね……。よかった…。」

現在のところ、Vは地味に虫が苦手だった。
宇宙に住んでいれば、見慣れようもないものだからしかたないのかもしれない。

「Vも大丈夫なら、これでいいな。そうと決まったら準備だ準備!」

とりあえずの収入の目途が付けば慌ただしくなる。
やることが決まった二人は明るい顔で支度をし始めた。


《三日後.資源採掘小惑星・B-77区画》

轟音、破裂音、そして断末魔のような奇声。
光が乱れ舞い、次々と爬虫類に似た生き物が死んでいく。

「はぁッ!」

気合いの掛け声と共にVはプロミネンスを振るう。
弧を描く形状の二振りの曲剣が唸る。
右手の弟剣で原生生物の首をまとめて三つも飛ばし、
左手の兄剣で奥にいた一匹を縦に切り裂く。
背後から襲い掛かってきた一匹も、振り返りつつの刺突でその命を断たれた。
しかし、原生生物の勢いは衰えない。
さらに奥から数匹が向かってくる。

「邪魔くさい…。」

愚痴を言いつつ兄剣と弟剣を柄尻で連結させ、一本の剣にする。
軽く振り回し、大きく振りかぶって投げつける。

「行けぇッ!!」

Vの手から離れた曲剣はそのまま回転し、
意志ある生き物のように原生生物に向かい、その刃を喰い込ませた。
二、三匹をまとめて両断した後、ブーメランのようにVの手元に帰ってくる。
アーレントの光力の帯でVの手と繋がっているため、ある程度の操作ができるのだ。
受け取ったプロミネンスを再び分離させ、群れに向かって突っ込む。
紫の光がまるで翼のように広がると爆発的な推力が生まれ、
加速したVがすれ違い様に次々と首を刎ねる。
Vは止まらない、空中で硬化した光を足場にし、蹴りつけて更に加速する。
同時に首の飛ぶスピードも加速し、
彼の通った後には原生生物の生首と首を失い痙攣している胴体が残るだけだ。
あっという間に、体躯が一回り大きい群れのボスまで辿り着く。

「終わりです。」

攻撃をしようと、原生生物は奇声を上げながら動いたが、それ以上にVのほうが速かった。
同時に振り上げられた兄弟剣が振り下ろされると、X字に両断されて絶命する。

「あらかた片付いたかな…。」

周囲を見渡しても動くものはないし、気配も感じない。
この辺りはどうやら駆除しきったようだ。

「ショウさんはどうなったかな…。」

今回は数が多いとのことだったので、二手に別れて駆除を行っていた。
自分の担当した区画の原生生物はだいたい全滅させた。
通信を入れて、ショウのほうを手伝いに行こう。
そう思い腕輪型の通信機器のスイッチを入れ回線を繋ぐ、
しかし返ってきた反応はVの予想を超えるものだった。
何度回線を繋いでも、聞こえてくるのはノイズばかりだ。

「妨害電波…?」

故障というのはありえない。直前まではきちんと通信はできていたのだ。
となれば、外部からの干渉により通信が使えなくなっているとしか考えられない。
予定外の何かが起きている。

「早いとこ合流しないと…!」

このまま別れたままではまずい。
お互い孤立したままでは全滅の恐れがある。
無意識に実験施設での訓練で植えつけられた教訓を思い出し、焦る。
急いで事前に決めていた合流地点へ向かおうとしたが、
それは足元に跳ねた火花によって阻まれた。

「ッ!?」

慌ててその場から飛び退く。
明らかに銃器による攻撃、原生生物ではない。
攻撃方向を見ると、そこには黒塗りの強化服に身を包んだ兵士がいた。
何者だ。この小惑星には人間は自分たちしかいないはず、
ここで労働していた人たちはすでに避難しているはずだ。
頭を回転させ考えるも、それを嘲笑うように兵士たちは、
一斉に手に持った銃器のトリガーを引く。

「くっ…!」

銃器はとにかく射線を逸らさせて回避しろ。
実験施設で染みついた動きの通りに動き、通路に逃げ込んで射線を阻む。
後方から複数の足音が響いて、追ってくることを伝える。
相手の数のほうが遥かに多い。一人ずつ倒すしかない。
そう結論付けると、通路に見つけたコントロールパネルを弄り隔壁を下す。
まずは分断し、襲撃しても問題ない数にしなければ勝機はない。
背後から兵士たちの隔壁に戸惑う声が聞こえた。


《資源採掘小惑星.A-05区画》

「まんまと騙されたって感じか…?」
「裏切り者には相応しい末路だな。」

冷たく声が響く。 元は倉庫であった少し広めの室内には、二人の男と複数のアンドロイドがいた。
一人はショウ、もう一人はというと黒塗りのヘルメットで顔が隠れていた。
しかし、アンドロイドの集団に銃器を突き付けられていても、
ショウは持ち前の飄々とした態度を崩さない。

「A.U.Gにクーデターを狙っている連中が、男をストーキングとは随分暇なことだな。」

軽口を叩いて、手と足に光を灯す。
ショウのスタイルはブラスターだ。
並大抵のアンドロイドや、強化服を着た人間程度なら一撃で粉砕できる。
事実として、部屋には複数の粉砕されたアンドロイドの残骸が転がっていた。

「大人しくする気はないか。もうあの女は死んだのだろう?」

ヘルメットで顔を隠した男が嘲るように言う。
自分が絶対的な優位であると疑っていない態度だが、大斧を構える姿には隙がない。
スタイルで言えば、恐らくクラッシャーに相当するだろう。

「ああ、あんたらが無茶な実験を強いたせいでな。」
「愚かな支配者たちを打ち倒すための、栄えある礎になったのだ。
 むしろ感謝してほしいものだよ。」

刺すような言葉の応酬。
言葉が交わされる度に、部屋に充満した殺気がさらに増していく。

「あの成功例の小僧を助けたのも、
 ニューエイジになり損ねたあの女とダブったからか?浅ましいことだ。」
「黙ってな。」

ショウの姿が消えると鈍い音が響き、ヘルメットの男が後方に吹き飛びかける。
追撃しようとするが、寸前でアンドロイドの銃撃が襲う。
邪魔だ、と言わんばかりにアンドロイドの集団に突っ込み、輝く拳を振るう。
破砕音が連続して響き、残骸が増える。
鎌のように振るわれた回し蹴りが、アンドロイドの首をまとめて砕く。
ふいに、ゾクリとした悪寒が襲った。
その場から飛び退くと、直後にショウのいた場所に斧が振り下ろされていた。

「相変わらず、勘だけは良いようだな。」
斧を構え直して男が言う。
周囲のアンドロイドは全て機能停止し、残骸と化していた。
一騎打ちだ。

「ここで私に勝とうとも、お前の気に掛けるあの小僧が無事とは限らんがな。」
「ちっ、部隊単位で来てたか…。」
「お前を追っていただけだったが、偶然脱走個体も見つけられたのでな。
 見事捕まえられれば私は昇進間違いなしだ。」
堪え切れないのか、ヘルメットの男の口許には勝ち誇った笑みが浮かんでいる。
実際、状況はショウたちが圧倒的に不利だった。
分断され、お互いに孤立した状況、しかも相手は部隊単位で来ている。
ここを切り抜けられても、コロニーまで脱出できるかは際どいところだった。

「さぁ、もう観念し…!?」

男の声が途中で止まった。
何が起きたのか、ショウですら一瞬理解が追いつかなかった。
男の胸から、腕が生えていた。
黒い黒い、異質な腕。
まるで黒曜石のような輝きを持つ、禍々しい腕が。
腕が動き、男がゴミのように投げ捨てられると、腕の正体が現れた。
人の形をしながらも、異形。
全身に黒い甲冑を着込んだかのような人型、
右腕のみが異常なまでに肥大化しており、猛禽類のような三本爪が生えていた。
ショウの全身から脂汗が噴き出た。
先ほどの悪寒の正体、あれは斧を向けられて感じたものではない。
悪寒の原因はこいつだ。

「フローターズまでとは千客万来だな…!」


《資源採掘小惑星.B-08区画》

迂闊だった、そうとしか言えなかった。
考えてみれば、通信妨害をあの兵士たちが行う必要などなかったのだ。
ここは広い宇宙の真っただ中にある、小さな小惑星なのだから。
わざわざ通信を封鎖する意味などないのだ。

「この…!」

プロミネンスを振り上げて、襲い来るフローターズを切りつける。
切っても切ってもキリがない。
Vの周囲には、先ほどまで自分を追っていた兵士やアンドロイドの残骸が転がっていた。
全員突然出現したこのフローターズに、食い殺されたのだ。
 相対してるフローターズは四足歩行の獣型の群れだった。
ただの獣とは違い、頭が二つ存在し、金色の目が殺気に漲りぎらついている。
プロミネンスを連結させ、一匹に向かって投げつけると自分は別の個体へ向かう。
飛び掛かってくるフローターズを、
硬質化させた光を生やした手刀で頭の一つを砕き、
右足の爪先から伸ばした光力の剣を、ハイキックの要領で振るって胴体を串刺しにする。
戻ってきたプロミネンスを回収し、分離させてもう一匹を両断する。

「…!?」

突然地面が揺れた。
小惑星で地震など起きるはずがない、どこかで爆発でも起きたのか。
そんな考えに気を取られ、一瞬動くのが遅れた。
実戦ではあってはならない致命的な遅れ。
揺れをものともせず、フローターズがVに向かって飛び掛かる。
防御も回避も、間に合わない。

「おらぁぁぁッ!!」

飛び掛かってきたフローターズが、横合いからの殴打で吹き飛ぶ。
誰が来たかは、言うまでもなくVは理解していた。
だがショウの身体は傷だらけだった。
強化繊維服は所々破れ、随所から血が滴っている。

「助かりました、ていうか大丈夫ですかショウさん…。」
「礼はいいって。それよりももっと厄介なのがいんだよ…。」

瞬間、轟音が鳴る。
眼前の壁が砕かれて、異形の腕を持つフローターズが現れた。
ショウがボロボロなのに対して、こちらはまったくの無傷。

「さっきあいつが大暴れしたせいで、小惑星の重力発生器がぶっ壊された。
 もうすぐここは崩壊しちまう。」
「だから、お前だけで逃げろ。」

唐突にそんなことを言われた。
Vはなにを言われたか、理解できなかった。
なぜそんなことを言うのか、ここで死ぬつもりなのか。

「二人でならやれます…。崩壊する前にあいつを…!」
「無理だ。あいつは桁違いに強い、それにまだ多くのフローターズがいるんだぞ。」

ショウは本気だった、いつもは見せないような真剣な表情でVを見る。
そしてVに何かを押し付けると、その体を思い切り通路へ向かって投げた。

「なっ…!?」

突然すぎて、受け身も取れずに通路に転がる。
慌てて体勢を整えた時には、もうショウのいる区画に隔壁が降り始めていた。
いつの間に操作したのか、もう間に合わない。

「ショウさんっ!!」
「三番のゲートに脱出艇がある!
 上手く逃げたら、そのデータディスクに書いてある座標に向かえ!」

隔壁が完全に閉じた。
壁の向こうから、激しい戦闘音が聞こえてくる。
もう助けにはいけない。
崩壊が間近に迫ってくることを、通路を赤く染めた警告灯が伝えてきた。
Vにはもう、逃げることしかできなかった。


《二週間後.とあるコロニー》

逃げるのはこれで二度目だった、結局逃げることしか能がないのだ。
そんなことを思い、街を歩く。
あれから、二週間かけてこのコロニーについた。
必死の思いで脱出艇に逃げ込み、
データディスクにあった座標に航路を設定すると、あとは自動操縦に任せていた。
日付を確認するのも忘れて、絶望していた。
気づけばこのコロニーに辿り着いていた。

(…一人でいるのが似合いか……。)

実験施設から逃げたときも、結局一人となって脱出した。
あの時もフローターズの急襲という不測の事態によって、
仲間達と散り散りになって逃げることになったのだ。
自分と一緒に逃げていた二人とは道中に崩落した瓦礫によって分断され、
その後どうなったかは分からない。

「ここか…。」

目前に見えてきた建物を見上げる。
大きな屋敷にも見えるが、どうやら病院のようだった。
コロニーに辿り着いてから、データディスクは新たな座標を、
正確にはコロニー内のこの建物の住所を表示した。
ここに何があるのかはわからないが、ショウが行けと言ったのだ。
行かないわけにはいかなかった。
 入ってみれば、中は意外と殺風景な光景が広がっていた。
受付のような物はあるが、人のいる気配はない。
扉は開いていたので、定休日ではないはずだった。

「おや、若いお客さんは久しぶりじゃな。」

声の聞こえた方向に目を向けると、白衣を着た老人がいた。
腰は少々曲がっているが、動くのには不自由していないようだ。
こちらへ近づいてくると、まるで値踏みをするかのようにVを見る。

「あの……何か…?」
「おお、すまんすまん。予想以上にそっくりだったものでな。」

誰にですか、と聞く前に老人は背を向け、ついてきなさい、と言って歩き始める。
仕方なくついていくと、老人は声を紡ぎだす。
それはVにとっては驚くべき言葉だった。

「ショウが目をかけるわけじゃな。本当にそっくりじゃ。」
「ショウさんのこと、知ってるんですか…!?」
「この老いぼれの唯一の友人じゃよ、
 最も君が来たということは逝ったようじゃな、あいつも。」

何気ない言葉が胸に刺さった。
老人は悪気などないのだろうが、この時のVにはどんな言葉よりも刺さる一言だった。
その様子に気づいたのか、老人は、すまんな、と言って言葉を続ける。

「あいつとは長い付き合いでの。ここに君が一人で来たら、
 自分に何かあったと思ってくれ、と言われていたのだよ。」
「それと、君に伝えねばならんこともある。」

到着じゃ、と言って一際大きな扉を開ける。
扉の向こうには、真っ白な部屋が見えていた。
中央に一つだけベッドがあり、そこに人が一人寝ていた。
背丈から判断すると、どうやら自分と同年代のようだった。
ただ、その容姿を見るとVは自分の目を疑った。
自分と、似ていた。
黒い髪に、ニューエイジ特有の尖った耳。
顔立ちなどに違いはあるものの、大分似通っていた。

「この、人は…?」
「その子はショウの息子じゃよ。
 ニューエイジの女性との間にできた、先天的なニューエイジじゃ。」

ショウの息子。
そう言われれば、どことなく面影があるかもしれない。
自分との違いは、その面影の有無だろうか。
しかし、どうしてこんなところで眠り続けているのか。

「どこから話したものかの。まずはショウの過去からか…。」

気にしたこともなかったショウの過去。
それを老人は語る。
ショウが元々A.U.G改革派の人間だったということ。
非人道的な実験に嫌気が差し、
恋仲に落ちた実験個体の女性を連れ出して、軍を脱走したこと。
そして、この少年はその女性との間にできた子供だということ。

「しかし、その女はこの子を産んで間もなく死んでしまったよ。
 不完全な技術で無理矢理変異した身体じゃったからなぁ…。」

Vが実験を受ける、ずっとずっと前のことだ。
あの実験ですら、施設にいた大半の子供が死ぬ凄惨な事態になったのだ。
今よりも不完全な技術での適合実験など、成功すること事態が奇跡にも等しかっただろう。

「不完全すぎる技術じゃったよ。一応その女は肉体は何とかニューエイジになったが、
 結局アーレント適正は低い数値のまま。とてもではないが戦闘になど耐えられるはずもない。
 ショウが助けねば、失敗作として処分されていたじゃろう。」
「そして女の身体の状態は、この子にまで影響を及ぼした。」

老人は眠る少年を見ながら言う。
眼下の少年は依然眠ったまま、人工呼吸器を付けられた姿が嫌な予感を伝えてきた。

「生まれて間もなく、この子の脳は死んでしまった。
 ショウの希望で儂の元に収容し、こうしているがね。」

Vは絶句する。
脳死状態は如何に技術の発達したこの世界でも、治療することは難しかった。
例え脳をサイバネ化しても、元となる脳が死んでしまえば意味はない。
それに、赤ん坊の状態でそれ程の重いサイバネ化手術に耐えられる者などいない。
肉体的強靭さに劣るニューエイジの赤ん坊ならば、尚更だった。

「お前さんは本当によくこの子に似ておる…。
 儂でも、生まれ変わりというものを信じてしまいそうだよ…。」

目を細め、老人は優しげに言う。
そして懐から何かを取り出した。

「それは…?」
「この子の生体データじゃよ。ショウからは、これを君に渡して欲しいと伝えられておる。」

生体データ。
この時代において、身分証のような役割を果たすものだ。
これがなければコロニー間の渡航もできない上、
正式にブレイカーとして《ギルド》に登録もできない。
だからVは《ギルド》には登録ができなかったのだ。
そして、それを渡すということは。

「僕に……この子として…生きろ、と…?」
「少し違うな。この子の代わりに、世界を見届ける気はないか。ということじゃよ。」

困惑した表情を、Vは浮かべる。
対照的に、老人は優しい表情を浮かべたままだ。

「この子は生まれることもできなかった命。
 世界に存在の痕跡すら残せなかった悲しい子じゃ。」
「お前さんには『名前』がない。この子には『存在』がない。
 この子の『名前』でもう一度世界に生まれてみんか?」

どうするかはお前さんの自由じゃが、そう言って老人は部屋から出ようとする。
世界と向き合うこと、世界にどう向き合うか自分で決めること。
生きること、存在することとはそういうことだ。
そうショウは言っていた。
自らのやり方で、自分の意思で。
老人が扉に手をかけたところで、Vは老人を呼び止めた。

「この子の、名前は…?」

振り向いて、老人は口にする。
運命の、その名前を。

「北条・空。それがこの子の名前じゃ。」


《A.A.0085.中立コロニー「レフィト」・墓地》

あれから随分な時間が経った。
ショウの気に入っていたこのコロニーに墓を建て、
ブレイカーとして正式に《ギルド》に登録し、そこからは必死に生き抜く日々が始まった。
死にかけたことも、何度もあった。
その度に立ち上がり続けた、何度も何度も。
昔なら諦めて、命を投げ出していただろう。
だが、もうこの身体は、命は、自分一人のものではない。
ショウに助けてもらい、彼の息子に名をもらって繋げられた命だ。
だから、示し続けるのだ。
自分はこの世界に存在していると、どれだけ惨めに写ろうと生きているのだと。
『北条・空』は生まれてこられなかった命ではないのだ、と。

行く末を見届けたい者たちも、できた。
白い少女と焔のような髪を持つ少女、そしてその二人を見守る心優しい少女、
その少女たちを支えて守ろうとする半竜の男。
幼くとも、どれだけ甘くとも、自らのやり方で世界に存在を示している者たち。
だが、その甘さはいつか必ず牙を剥く、世界は残酷で理不尽なものだ。
ならば、その牙を叩き潰すまで。
互い、互いが護り手である彼女たちは自分が護る必要はない。
だが、護るだけでは世界の理不尽さからは逃れられない。
だから、自分が、『北条・空』が剣となる。
あらゆる理不尽を切り裂き、道を切り開く剣として。
その為なら、どれだけでも傷つこう。
それで彼女たちの笑顔を、未来を見届けられるなら。
だから、

「いってきます。ショウさん。」

―了―


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