■賛歌は銃声に似て(1)





<賛歌は銃声に似て(仮題)>




 狙撃とは、作業だ。
 ゴットフリート・エルメンライヒは静かにそう言った。



 01



 AA.83年 宇宙標準年表 12月9日。
 木星圏 ライフライン・コロニー オブタビ233。

 木星系居住民が主流層を占めるエウロパ新帝国が、独立を宣言して久しい。しかし星連はその広大な支配領域ゆえの盲目さからか、彼らをただのいち地方区域、その反体制組織としか見ていなかった。
 そんな情勢の中、その事件は起こったのである。

 下層階級に蔓延する新興カルト宗教による、反星連デモ活動。
 それはわき上がるように民衆に蔓延し、やがて暴徒と化した彼らはついに水精製コロニーを占拠し、機能を停止させるまでに拡大してしまった。
 水の精製が滞れば周辺の居住コロニー全体の人間の生命に直接被害が及ぶ。
 反星連の立場から、カルト宗教活動を半ば黙認していたエウロパ新帝国も、ここに至ってなお事態を黙殺しようとする星連の態度に業を煮やし、ようやく独自の解決策を打ち出したということだろう。

「吹き出し口を探していた民衆の怒りに、方向性を与えている奴がいる」
「頭を消してお終い、というわけにはいかないだロウ? いくらなんでも」

 抑揚の無い暗い声で説明しつつモニタを操作するゴットフリート・エルメンライヒの隣で、ライサ・ドミートリエヴナ・ドストエフスカヤは紙素材の資料をぱらぱらとめくりつつ、それに応えていた。
 今日の朝刊でも読んでいるように、その響きには人ごとのような気配が混じっている。

「さあな……なにかやり方があるのか。そこまでは知らんし、契約にもない」
「フウン。ま、水が命より貴重なのはようく解る。それを奪われて、エウロパが焦っているのも。手っ取り早いやり方があるんなら、わたしもそうするだろうナ」
「連中の指導者……“教首”と称しているそうだが……は二人。エルヴと名乗る男と、プリセアと名乗る女。確実に消すのは、この二人だ」
「二人の指導者ネ」
「連中は賛同者を信者・非信者問わず積極的に受け入れながら、このコロニーの武装化を進めている。要塞のようになって籠られる前に、統率を崩して瓦解させたいという算段だろう」
「潜入はできそうダガ、その後はどうする?」
「先に連中のコロニーに入ったエウロパの諜報局の報告によると、“教首”が立てこもっているのがこの塔。塔を中心に敷き詰めるように信者たちが集まっていて、ちょっとした街のようになっているそうだ」

 ゴットフリートはデスクに広げてある紙媒体の地図、その中央を指で示した。円筒を横にしたような形状のコロニーの最奥に水精製施設と人工の水保管池が整備され、それを制御する管制塔が二棟。それを背にして扇状の広場があり、そこに雑多に広がった簡素な作りの信者たちの生活区域。急ごしらえなためか粗雑で、通路が入り組んでいる様子が、添付された画像データから見て取れた。

「彼らは宗教を基盤に結びついているが、必ずしも盤石ではない。信者以外の体制に不満をもったごろつきのような連中も抱え込んでいるし、歴史のない新興カルトゆえ、横の結束は深くない。信者を指導するものが居なくなれば、ただのデモと民衆に成り下がるだろう、というのがエウロパの見解だ」
「そんな単純な……いや、その辺は仕事外の内容か。それで、どうするつもりダ?」
「内偵していた諜報員の報告に依ると、連中は同調者が2万を越えたあたりで周辺のコロニーへ向けて演説を行うらしい。水資源を確保したこと、それから、反星連活動に協力すること」
「そこを狙うのカ?」
「そういうことだ。エルヴとプリセア、二人の教首が揃ってデモ隊の前に顔を出すことは少ない」
「二人を同時に、ねェ」
「我々に依頼が回ってきた理由もそこにある」

 ライサはデスクに肘をつき、地図をじっと見入った。やがて顔をあげると、ヘルツもまた地図を睨みつけている。顔の半分を覆う黒いマスクのせいで、その表情は読み取れない。しかし、ヘルツの鬱金色の瞳に、ライサは深い憂鬱の感情を感じた。やがてヘルツは深く息を吐き、地図に二カ所、マーカーで印をつけた。

「ここと、ここ。私と、お前。そういうことになった」




………




 男は焦燥に焦燥を重ね、ここ数日ですっかり人相が変わってしまっていた。
 髪はすっかり白髪になり、唇の色もくすんでいる。目の下に深く刻まれた深い隈は、彼がもう何日も満足に眠っていないだろうことを示唆していた。
 薄暗い司令室には、同じように疲れきった表情の部下や通信士が慌ただしく走り回り、方々で言い争いも起きているが、彼にはもうそれを押しとどめる余裕はなかった。
 
 木星圏・木星第1衛星、イオ。
 全星系連邦警察軍、木星圏司令部。さらにそこから枝分かれした、第1衛星圏管理局司令室。
 彼はその司令室の主ということになっている。
 ……つまりは、今回の反星連非合法活動鎮圧の全責任を負わねばならない立場だった。
 目眩のように覚束ない視点をどうにか立て直して、彼は側近を顧みる。

「本隊からの指令は」
「“現有戦力で対処せよ”。21時間前のものと同内容です」

 くそ、と彼は力なく呟いた。そんなことができるならば、とうにやっている。
 どこからか湧くように現れた不可解な神秘主義者の集団が、滑り込むようにして水精製ライフライン・コロニー、オブタビ233を占拠した。彼らはそこを守っていた守備兵の半数を殺害し、もう半数を拘束した。それから約2週間、何一つ彼の思惑通りに事態は運びはしなかった。
 交渉に赴いた部下は殺された。威嚇目的で艦隊を展開させると、コロニーで水精製に従事していたアルバトロス・サポート社の社員の死体が詰まった救命ポッドを投げ返された。
 コロニーの通信設備は完全に取り押さえられ、今も近隣コロニーやイオの都市に向かって、反星連デモへの参加を喧伝し続けている。
 通信施設の占拠は致命的でさえあり、コロニー占拠の情報は彼が情報規制の指示を出すより速く、あらゆる媒体に乗って木星圏全体へ、そして今朝方ついに全宇宙の電子ニュースサイトに掲載されてしまった。これにより無理な……本来星連が得意とするような……力任せの解決方法は、体制への糺弾を恐れる連邦政府により止められた。
 漏れ聞こえる情報によると、オブタビ233に侵入し、あるいは周辺コロニーより参加を表明している反体制集団は、間もなく2万人に達しようとしているという。
 
「ギルドに連絡を」

 憔悴しきった男は、頭をもたげたある決断に手をかけた。
 判断力の低下した彼の脳内、あるかなきかの自制心が、それを押しとどめていた。
 しかし、ここに至って、それ以外の解決方法はないように思われた。

「これしかあるまい」

 彼は机に顔を伏せ、数日ぶりに少しだけ眠った。





……





 エルヴ・ジャッカラインは薄暗い室内でじっと身を潜めていた。厚いカーテンの外では、彼と思想を同じくする名もない民衆が、祈りの叫びを繰り返しているのが聞こえてくる。
 彼は右腕の義手を眺めた。満足に手入れもしていないせいか、手首の関節部分がぎしりと軋む。闇の中、わけもわからず激痛に転げ回ったかの日を嫌でも思い起こさせた。
 通信施設を占拠する彼の直属の部隊は、今でも周辺コロニーに武装蜂起とオブタビ233への合流を呼びかけ続けているはずだった。
 また、彼らが所有するなけなしの違法武装船は彼らに合流する反星連の民衆とエルヴを信奉する下層民を忙しく輸送しているはずだ。
 2万人。その数字はもはや目前に迫った彼の同志の数である。彼は2万人の反星連のデモを拡大し、星連の支配から木星を、やがては宇宙全体を解放するために立ち上がろうとしていた。

『神船ミタマクグリ、2番ポートより入港完了』
「何人だ」

 端末から聞こえる声に、エルヴはくぐもった声で答えた。深くうち沈んだ、威厳を感じる声色。端末からお待ちください、と返事が返る。

『およそ250人ほどです。イオの炭坑労働者が50名。180名は隣接コロニーのスラム居住者。残りは星連により迫害されていた輸送船団の職員と見られます』
「身元はしっかり確認しておけよ」
『はっ』

 信者以外の賛同者が増えるにつれ、星連の、あるいはエウロパ側からの内偵も入り込んでいるだろう。それは仕方のないことでもある。どのみち、2万人を信者だけで賄うには時間が足りない。とにかく外部から兵を集める必要があるのだ。
 
「イオが二機……ジュアスが九機。もう少し、集まると思っていたんだがな」
『エウロパの腰抜けどもめ、さっさと支援をよこせばいいものを』
「詮無きことだ。コンダクターの様子はどうだ?」
『みな、神兵として充分に働けると思います。やはり、コンダクターだけは同志で固められて正解でしたね』
「そうだな。あとはブレイカーどもがどれだけ働くか……」
『所詮は傭兵です。金で動くものに重要な仕事は任せられますまい』

 決起にあたり、ギルドに寄らない流れのブレイカーを幾らか集めた。一人一人エルヴが顔を合わせ、話をした。裏切りの要素を身中に孕む危険性はあったにせよ、民衆の蜂起に戦争慣れした指揮官は必須だと考えたのだ。信頼を置いていいものか、エルヴは迷い、3名ほどの個人ブレイカーを雇うことに決めた。今は前線で、デモの護衛に就いているはずだ。
 通信を切り、エルヴは再び義手を眺めた。燃え上がる怒りなど、とうに消えている。腹の底に冷えた呪いの感情が渦巻いているだけだ。裏切りの代償は血だ。エルヴは軋む右手に刻まれた傷を数えながら、それを呟いた。

「教首サマ。打合せしといたほうがいいっスよね……って部屋暗っ。電気、つけますよ」

 不意に部屋の光量が増し、女がエルヴの目前に立つ。教団の指導者の居室と定められたこの部屋に、気軽に入れるものは限られている。退廃した地球の風俗を思わせる、裾の長い純白のローブ。栗色の長い髪。色素の薄い瞳。

「おまえも、教首だろう」
「あ”ー……まあそうでした」

 プリセア・エル・レール・ツツミハバキはローブの裾をひっかけて躓きながら、身なりとは裏腹に粗雑な挙動で、エルヴの向かいのソファに腰を降ろした。やれやれ、と乱暴に髪を掻き上げる。耳に留まらなかった髪束がいくらか流れ、それを鬱陶しそうにもういちど耳にかける。エルヴはそれを興味無さげに見やった。

「私さぁ、なんかもう、限界スよもう。服に殺されるとは思ってなかった」
「……我慢しろ」
「我慢しまース」

 二万の民衆を整理し、このコロニーを要塞にできるまで、どれほどの時がかかるか。そしてこのコロニーの作りだす水で生かされている民衆に、星連がどれだけ価値を見出すか。反星連の気風ただようエウロパの連中が、この争乱をどれだけ見ているのか。
 エルヴは考え続けていた。賭け。それも勝ち筋の少ない賭けである。

「教首サマ。派手にやろうね。それがいい」
「……愚かな女だ、おまえは」

 エルヴはまた義手を眺めた。少なくとも、私は独りではない。それがどれだけ救いになったのか、いずれ考える日もくるだろう、とエルヴは思った。




……