■血霞、黒き海にて 2

●交戦開始
 派手に響き渡る爆雷の起動音が、戦闘開始の合図だった。
≪来ましたよ来ましたよ、敵さんいっぱいです!≫
 危急を告げるにしては楽しげな声音でリーリヤが告げる。近距離共有回線を通して全体に行き渡った声に応じるように、工廠区画を守るブレイカーたちはめいめいに臨戦態勢を取った。
 封鎖ルートをびっちりと埋め尽くした結晶機雷が次々に反応し、弾けていく。爆風の過ぎ去ったあとには黒曜石の人形たち、そのひとかけらすらも残っていない。
 ものすごい威力だなあとアスクレピオスが感心したように軽く口笛を吹く。隠し玉にもご期待くださいね、などとリーリヤはその横で嫣然と、不敵な笑みを浮かべた。
 封鎖ルートへ向かった第一波は、恙なく撃破せしめている。では、正面のルートはといえば──
 後衛二人が視線を向けたそこは、既に混戦の様相を呈していた。
「想像はしていたであるが、物凄い数であるな……!」
 小さく毒づき、バルケイが手にした得物を大きく横一文字に振り抜く。
 その彼の斬撃を潜り抜けた”鉤手”を、ニーナの放った銃弾が次々と撃ち抜いていく。──が。
「きりがありません……ね」
 額に汗を滲ませて、ニーナが呟く。
 侵攻ルートを限定したからといえど、前衛を担う者の数は敵の数に比すれば決して多いとはいえない。どのブレイカーも、ブレイカーとしての能力は一般的なそれよりも遙かに秀でているが──それでも、一人の人間が対応しきれる人数というものには、当然、限界がある。
 広範囲を薙ぎ払う斬撃や銃撃に遭い、あっさりと”眷属”は霧散していくが──しかし、人型をした”砲手””鉤手””癒手”の数もそれなりに多い。
 さすがに広範囲に拡散する攻撃だけでは、彼らを砕くのには少々足りなかったようで。人型のフローターズたちは砕けた”眷属”の残骸を踏みしめながら、少しずつ戦線を押し上げてきていた。
 中でも特に、”鉤手”は厄介だった。アサシンに類似した彼らの動きは奇抜であり神出鬼没、加えて、速い。撃退の優先順位を下げたために、肉薄するまでに数を余り減らせていないことも災いしてか、”鉤手”の対応にはどのブレイカーも苦慮しているようだった。
「そっち! 行ったわよ!」
 近づく”鉤手”の一体へと炎纏う太刀で斬りつけながら、レンカが鋭く声を上げた。その声に応と頷いた命蓮は、腰を低くして刀の柄に手を掛ける。
 一呼吸で敵に肉薄するや否や、神速の抜刀が迫りくる”鉤手”の首を数体纏めて撥ね飛ばした。血の通わぬ黒曜石の人形は、そのままその場で黒き塵と化し消え去ってゆく。
「さあ、次に消えたいのはどいつだ!?」
 朗々と声を張り上げ、命蓮は高々と”明刃”を掲げた。意思なきフローターズがその挑発を解したかは判らないが、周辺に残っていた砲手たちはその砲身を一気に命蓮へと向ける。
「命蓮殿!」
 しかし、そこへバルケイが割って入った。通常の人型種族よりも頑強なバルケイの膚は、砲手の放つ漆黒の弾の直撃を食らっても微動だにしない。
「こいつらは拙者が止めるのである! ニーナ殿たちは”鉤手”たちを!」
「はいっ」
 確かにバルケイは巨体に似合わぬ素早さが売りだ──が、身体自体も大きいせいか、細やかに動き回るような相手との戦いは不得手だ。
 ならばそちらは自分たちが引き受けるしかない……群れの先頭に向かって、ニーナは内蔵ティンクル・ガンの銃口を向ける。リベルノイドならではの正確無比な射撃が、近付く鉤手たちの足を止めて──否。
「!」
 ぐにょりと、突然その姿が歪んだ。歪んだ軌道のその先へ思わず視線を逸せば、
「ッ」
 触手のような鉤爪による斬撃が首元を狙ってくる。それを躱し、後頭部に突きつけたティンクル・ガンを撃ち放つ。これで一匹。だが。
 ──別の方向から現れた”鉤手”が、ニーナの横をすり抜けていく。
「──!」
 しまった、と思い、取り逃がした”鉤手”を振り返るニーナ──
 そのニーナの、目の前で。”鉤手”の鈍い黒曜石のような頭を、一条の光が狙い澄ましたかのように撃ち抜く。
 のけぞるように上体を逸らした黒き人形は、そのまま音もなく霧散した。
 ニーナは安堵したように小さく息を吐いて、光条の飛来した先へ一瞬だけ視線を遣る。
 そうしてから前を向き直り、再び近づいてくるフローターズへと銃を向けた。

 ──工廠区画の朽ちかけた鉄塔の上。
 小柄な影が、錆びた鉄に寄り添うようにして屈み込み、狙撃銃を構えていた。
 鉄錆の臭いはどこか血のそれに似ていて、不快なことこの上ないが。しかし、同じような高さの建物が並び立つ区画ゆえ、全体を隈なく見渡せる定点は驚くほどに少なかった。
 それでも、朽ちかけた不安定な鉄塔の上、などと言う場所は大抵の人間ならば忌避するであろう。
 しかし小柄な少女──ライサ・ドミートリエヴナ・ドストエフスカヤは、この場所を選んだ。
 ”絶対に、こんな場所から狙撃する人間など居はしない”誰もがそう思うであろう、だから、あえてこの場所を選んだ。
 もちろん、そんな思考の裏をかくというだけの、利発な子供でも出来るような単純な理由だけではない。輸送船、味方の配置、敵の侵攻ルート。その全てが見渡せる場所でなければ、今回の任務に適さない。その条件を最も的確に満たす場所が、ここであったことも無論理由のうちで。
 そして最大の理由──、ライサには自負があった。どんな場所にあろうとも、自らの狙撃の精度には一点の曇りも生まれないと、自負していた。
「──悪いが、わたしの目から逃げられると思わないことだネ」
 水宝玉の如き澄んだ瞳でスコープを覗き込む少女は、静かにそう言って、わずかだけ口の端を持ち上げる。
 不安定な足場も、見通しの悪い区画も、決して彼女の障害にはなり得ない。
 《トゥマーン・スナイピェル》の名は、伊達ではないのだから。

●ゼロ・ミリオン
 ──同刻、コロニー都市外縁部区画。
 視られている──と女が思ったのは、血色の瞳が先ほどから微動だにせず、自分のいる方へと向けられていたからだ。
(……調整、しくじったやろか)
 自然、腰を低くして身構えながら。
 《陽炎》朔・煉華はそう考え、自らの構築した幻影を顧みる──光学迷彩も熱量操作も過不足なく行えている。それは手応えを感じている。現に、フローターズ達は煉華には見向きもしていない。
 けれど、確かに、あの血色の瞳が見据えているのは、他方へと幻影投射したブレイカー達の姿ではなく──煉華自身だ。
 不可視化の強度が足りなかったか? 思ったが、しかし、今更だ。ここでそれを調整しては、術の発動によるわずかな揺らぎを察されてしまうかも知れない。
 どうするべきか──煉華は血色の瞳を見返しながら、じっとその場に佇んでいる。
 幻影に守られ、不可視化されている筈の翡翠と《スターリ・イデアール》ラードスチ──正確には、彼の”ジュアス”だが──も、張りつめた表情でその場に立ち尽くしていた。
 術をかけた主体となる煉華の術が消え、千景がこちらを認識したタイミングで交渉を持ち掛ける。そのような手はずになっていた。ゆえに、煉華の術が解け、彼女が動き出さねば翡翠とラードスチも動くに動けない。
 千景はそんな彼女たちを視て、──ふ、と微笑った。
「用件はなぁに? 仰って御覧なさいな、《陽炎》」
「! ……やっぱり気付かれてましたか」
「あんなものものしい船で近づいたら、気付いてくれと言っているようなものよ?」
「──……」
 肩を竦める女の言葉に、煉華は小さく奥歯を噛んだ。
 確かに、幻影で姿を隠しながら近づくのはある程度の効果の見込める作戦だったかも知れない。が、それは相手が”こちらの来訪に気付いていなければ”だ。
 船が接近した時点で”何者かが訪れる”ことは明白、となれば、警戒されて当然だろう。
 とはいえ、今回に限ってはそれは致し方のない事だった。離脱の際の足として、快足を誇る”ルーナ・ノア”はほぼ必須といえたからだ。
 加えて、千景に前もって気付かれていたことは確かに予想外だが、大勢に影響するほどではない。
 接近に気付かれていたこと、幻影による攪乱の効果が薄い事は少々予定外だが、もとより千景はブレイカーが訪れることを恐らく確信していただろう。
 そして、此方も彼女に奇襲をかけることが目的ではない。すべきことは彼女を引き付け、留め置くことだ。ならば多少目立ってしまったとして、不都合があるわけでもない。
「ま、いいわ。用事があるんでしょ? さっさと言いなさい」
 群がる”眷属”を無造作に叩き落としながら、女は言葉を続ける。手短にね、と挑発的に言い放って笑うその姿を、ラードスチは少し離れて見守っていた。
(……こんな状況で、笑うのかよ。末恐ろしい女だな)
 煉華の操る幻影に守られている自分たちはフローターズの標的にはなっていないが、目の前にいる女──千景は別だ。周囲を隈なくフローターズに囲まれ、一心に攻撃を受け続けている。
 横合いから自らを狙う”砲手”の、砲塔を精確に狙い澄まして撃ち抜きながら。或いは自らの首を狙う”鉤手”を、銃把でいなしながら。
 それでも女は笑みを崩さず、煉華へと向けた視線も外しはしない。人間とは思えないな──ラードスチは”ジュアス”のバイザー越しに見える黒髪の女の姿に、そんな率直な感想を抱く。
「用事は、勝負。なに、簡単なことですわ」
 勝負。その言葉に千景は僅かに眉根を寄せ、続けなさい、と促した。フローターズの群れから抜け出でるように大きく位置を動くと、続きを促すように煉華へと鋭い視線を向ける。
 かかってくれたか──? 内心の安堵を表に出さぬように、煉華はつとめて冷静に次の言葉を続ける。
「あんたを倒して救援を成功させたらボクらの勝ち。逆にボクらを倒せたらあんたは他のブレイカーやフローターズとも試合ができて、あんたの勝ち」
 どや、シンプルやろ? ふふんと胸張ってみせる煉華の問いに、そうね、と千景はわずか、口の端を上げた。
「まさか、千景の姫さんは逃げたり、せぇへんやろ?」
 好感触か──そう踏んで、あえて挑発的な声音で言葉を結んだ煉華に続いて。
 横に控えていた翡翠もまた、敢えて淡い笑みを浮かべて口を開く。
「千景の姐さん。勝負の内容は、煉華が言った通りだよ」
 言いながら、僅かに手が震えているのを、翡翠は自らで感じ取っていた。
 彼女と対峙すると、目の前に鉛色の銃口を突き付けられた遠い日の記憶が、ぞわぞわと湧き上がってくる。……何もかもを取りこぼしてしまう欠陥だらけの記憶域にも、あの日の雪辱は消えることなく残り続けていた。
「俺達は本気で姐さんを倒しに行く。フローターズの相手や、他の敵に向かってる皆を襲うより、楽しんでもらえるつもり、だけど?」
 それでも笑みを浮かべられたのは、此処に立つ自分が、一人ではないから。
 数多くの命を背負ってたった独り挑んだあの時とは違って、今は、共に戦う仲間がいるから。
「本気の出せない相手と戦っても、”つまんない”……でしょ?」
 言葉を結び、じっと目の前に立つ黒髪の女を見詰める。
 女は、目の前に立つ──尤も、幻影のお陰で判然とは見えていない、ただ、”捉えて”はいるが──二人を交互に矯めつ眇めつ眺め。
「……、そうね。勝負。それは受けましょう」
 口の端を吊り上げて、そう言った。
 それを聞いた煉華と翡翠が目配せをし、天使とは反対方向へと動こうとした──矢先。
 高い銃声。ほとんど同時に聴こえたが、それは確かに二発の銃声だった。
 翡翠と煉華の足元に、小さな銃弾が地を抉るように突き刺さっている。
「千景の姫さん、まだ勝負は──」
「挑んだ瞬間から勝負は始まっているんじゃなくて?」
 硝煙立ち上る銃口を、二人の足元に突きつけて。千景は先ほどまでの煉華と翡翠に違わぬほどの挑発的な口調で、高らかに言い放つ。
「でも、この場所では邪魔が入っちゃうよ、姐さん。それは余りうまくない、でしょう?」
「は? あんた、何を勘違いしているのよ。有象無象はどうでもいいけれど、いるならいた方が面白いじゃない」
 ……だって、単純な勝負なんて”つまんない”でしょう?
 凄絶な笑みを浮かべて、女は地へ向けていた銃口を素早く上げた。
「!」
 二発の銃声。放たれた銃弾は、今度こそ牽制などではない。その軌道は、過たず翡翠の統合制御ユニットの在り処を捉えている。
 避けるか? しかし恐らくその間には肉薄されるか、或いは彼女を見失う危惧も──逡巡が行動を遅らせる。
 しかし二発の銃弾は、翡翠に命中する事はなかった。ガキンと鈍い音が鳴って、鉛玉は壁で跳ね返った空き缶のように奇妙にひしゃげ、コロンコロンと転がる。
「ちっ。交渉は失敗みたいだな、お二人さん」
 割り込んだのは、──ラードスチだ。孤高の騎士を模したパワードスーツ──ジュアス”スターリ・リーリヤ”の鮮やかな白い装甲に、小さな弾痕が残っている。
「あらやだ。あたしパワードスーツはキライなのよ」
 殺しがいがないもの──なんとも物騒な言葉を残して、千景はあろうことかフローターズの密集地帯へと三人を誘うように移動し、楽しげに笑いながら振り返った。
 まるでおもちゃを前にした子供のような無邪気な笑みだ──女にとってはきっと、目の前の戦いも、フローターズも、ブレイカーたちも、等しく自らの興味を満たす為の”おもちゃ”なのだろう。
「ちっ。こんな混戦状態の場所で戦いを、とは、数奇な女だな」
「……そういえば千景の姐さんは、戦場が混沌としていればしているほど嬉々としてるって、そんな噂もあったっけ」
 勝負を仕掛ける、という持って行き方は何の問題もなかったろう。挑まれれば彼女は決して逃げはしない。彼女の注意を他のブレイカーへと向かせない方法としては、最良に近い。
 また、彼女にとっての勝負は、どちらかが死ぬまで終わらないものだ。よって、彼女に挑む者が命を落としさえしない限り、彼女は挑んできた者達を執拗に狙い続けるだろう。
 しかし──勝負を受けたとして、彼女の目的が変わるわけではない。
 そう、彼女の目的が、正々堂々の勝負といった奇麗なものであれば。煉華や翡翠の挑発にも易々と乗り、フローターズからも距離を取ってくれただろう。
 だが、しかし──”必要なのはより多くの闘争であり、より多くの血と悲鳴と死と破壊”。殺せるならば殺せるほどよい、その質も種族も年齢も性も貴賤も問わぬ。
 そう嘯く女にとっては、邪魔の入らない真剣勝負などよりも、血で血を洗うような混沌に満ちた戦いの方が好ましいのだ。ゆえに、戦場設定に関しては、千景という女の性質をもう少しばかり鑑みるべきであっただろう。
 加えて、闘争と殺戮を何より好み、それを旨として動くということは。
 他者を殺す為の最適解を導き出す事に長けている、ということだ。
 千景が意趣返しのように用いた言葉──”つまらない”から──と同時に、”この位置の方が有利に戦闘を運べる”という確信が、彼女の中にはあったのだろう。
「本気で仕掛ける? 結構なことね。ならこの程度の障害、当然、超えて来てくれるわよね!」
 楽しげに嗤いながら言い放ち、黒髪の女は後方へ軽く跳ぶ。
 並み居る黒曜石の人形たちに囲まれて、それでもなお彼女は嗤う──銃を撃ち放ちながら高らかに笑う。
「ちっ……どうする?」
「……追うしかないやろな」
「俺たちが追わなければ、……他のブレイカーが襲われるかも知れないしね」
 見境なしに襲い来るフローターズのただ中での戦闘というのは、中々に厳しい状況といえるだろう。しかしそれでも、”天使”たちを相手取るブレイカー達は、千景の対処を行う班が彼女を引き付ける事を信じて戦っている。その彼らに、累が及ぶことだけは避けなくてはいけない。
 それに、煉華の幻影がある程度自分たちの身は守ってくれることだろう。千景ほどの実力者が相手だ、完全に惑わせる事は出来ないかも知れないが──フローターズに対しては一定の効果は見込めるかも知れない。
 意を決したように三人は頷きあうと、思い思いに千景を追って、黒曜石の渦の中へと飛び込んでいく。
「やれやれ、説得は失敗みたいだ。……仕方ないなあ」
 ならば、可及的速やかに終息を齎す以外にない──カミルは小さな薬品筒を複数個取り出すと、その場で素早く調合し──そして、周囲へと散布する。
「さあ、行って御出で。物言わぬ黒曜石の彫像を苦悶の色で彩ってくるんだよ」
 あらゆる存在に滅びを齎す粒子たちは、まるで意志を持つかのごとく、風なき棄てられた都市区画を駆け廻り、黒曜石の群れを侵していく。
 そしてカミルもまた、先の三人を追うべくして駆け出していった。


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