■花霞、星の海より

 ふわり、ふわり、春の風に桜が舞う。
 そして、賑やかな声が、ひとつ、ふたつ……。


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A.A.0085/03/29
P.M.15:30
中立コロニー「吉野」
特設更衣室:女子
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「アリサ……ちゃん……かわいい……かわいい! 布剥ぎたい……!」
「はいはい、剥いだら動脈採血だからね」
「わあい、お花見楽しみですねー」
 きらきらと目を輝かせ、猫耳と尻尾をぴこぴこさせて飛びかかろうとするもよぎから、扇子でリーチを取り、きっぱりと告げるアリサ。
 「動脈採血」の一言で、何事もなかったかのように桜の鼻緒の下駄を履き始めるもよぎの姿を確認して、アリサも着物用のブーツに足を通す。
「うん、まあ、お注射の機会がないのは残念だけど。お花は楽しみだよね」
 そう応えるアリサは、黒地に淡紫と桃色の牡丹柄の着物姿。
華やかな紅の帯に、銀の髪をハーフサイドアップにまとめた様子は、粋でモダンな様子。
 一方のもよぎは、黄緑と水色の地に桜柄の着物姿。
 紺と黄色の帯を結び、若葉色の髪をゆるりと桜の簪で結い上げた様子は、愛らしくも大人びて。
「たまには殺伐としたお仕事でなくて、休日を楽しまないとー、です」
 ふんわりと春風のように笑う姿に、アリサも思わず目尻を緩めて。
 二人は連れ立って、屋台の並ぶ、待ち合わせ場所へと向かう。

「ニーナ!お久しぶりですの!」
「テューさん、お久しぶりです!」
 手を取って再会を喜び合う、ニーナとテュルキース。
 ふたりは過去に出会い、今では「トモダチ」である。
 着物を着たい、というニーナに、それなら、と手を上げるテュルキース。着付けならできますの、との言葉に、二人は連れ立って着物を選ぶ。
 テュルキースがニーナに選んだのは、空色から淡紫へ変化する色合いの地に、桜柄の着物。
 器用に着物を着付けていくテュルキースに、驚いたようにニーナは首を傾げる。
「……テューさん、すごい、です」
「任せて、ですの。こういうのは得意ですの」
「おや、可愛らしい姫さんらがお揃いやねぇ」
 様子を見に来た煉華がほのぼのとつぶやく。
「それじゃ、この簪はどうです?」
 と、煉華が勧めたのは、今日の桜をそのまま飾ったような簪。
 ニーナの白い髪を桜の簪でまとめると、普段とは一風違う、はんなりとした風情の少女が一人。
「わぁ……かわいい」
 嬉しそうに鏡の前で呟くニーナに、テュルキースも煉華も笑顔を浮かべる。
「そうそう、テューの姫さんも、普段と違うキモノ、着てみます?きっと、気分が変わりますぇ」
「そう、ですの? ベルンも僕に惚れ直すですの」
「えぇ、そりゃあもちろん」
 ふふ、と笑う煉華に、テュルキースは張り切って衣装を選び出す。
 選んだのは、ニーナと似た桜色から紅に変化する色合いに、桜柄。
「ニーナともお揃い、ベルンにも、一層かわいさアピールですの」
「ふふ、恋する姫さんは可愛らしいですなぁ」
 早速お互いの着物の話に花を咲かせる二人に、煉華はちらりと懐中時計を確認すると。
「さ、そろそろやね。姫さん達、お祭りに繰り出すとしましょか」
「あ……はい」
 ちらり、ニーナは更衣室を見渡す。……いつも、隣にいる焔色の髪を探すように。
「ニーナ。参りますの」
「……はい」
 テュルキースの声に、白い少女はもう一度更衣室を見回して。少女達と共に、雑踏へと繰り出した。

「あまり似合わないだろうけど……こんな時ぐらいしか着る機会がないしな」
 そんなことを言いながら、サザメは自前の、黒地に桜色の小桜柄の着物姿。
 落ち着いた色味にまとめた姿は、いかにも着慣れた粋な様子。
 黒地が粋な印象ながら、淡い桜色の小桜柄が女の子らしく、仄かに愛らしい様に、
「わー!サザメかっわいいな! やっぱ色々着せたい!」
 瞳を輝けるアスクレピオスに、
「サザメって、可愛い格好すれば超のつく美少女よね。変な虫がつかないようにしなくっちゃ」
 レンカが続き、サザメは思わず真っ赤になって目をそらす。
「い、いいからほら、アスク。着物着るんだろ?」
「そうだ! レンカの貸してもらったんだー。俺に似合うかなぁ」
 僅かに不安そうに呟くアスクレピオスに、間髪入れず「似合う似合う」と反論するふたり。
 そして、十数分後……
「ほらよ」
「わーい! サザメありがとーなっ!」
「お安い御用」
「レンカもさんきゅ!」
「当然よ」
 鏡に写った自分の姿にうきうきするように、くるり、とアスクレピオスは廻ってみせる。
 紺色の髪はゆるく結い上げて、深紅の牡丹の簪で留め。
 髪色の映える上品な、けれど華やかな赤い着物には、これまた牡丹と桜の模様。
「どうだ? 似合う?」 
 嬉しそうに笑うアスクレピオスに、
「いいんじゃないか」
「似合うと思うわ」
 クールだがどこか和らいだ表情のサザメと、笑顔のレンカ。
「これで団長のハートも射止められるわね?」
「おま……ぶぁっか野郎! そういうのじゃねーよっ!」
 真っ赤になってレンカをべしべし叩くアスクレピオス。
 そこに外から聞こえてくるのは、アルビレオ達の声。
「よっし……行くか!」
「行きますか」
「……だな」
 言ってわいわいと、彼女達もまた、更衣室を後にする。


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A.A.0085/03/29
P.M.15:30
中立コロニー「吉野」
特設更衣室:男子
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「こういうのとか良さそうだな」
「あ。いいね。アルに似合いそう」
 橙色の着物に黄色の帯を選ぶアルビレオの後ろから、翡翠が顔を出す。
「……お前な。お前は前から思っていたが、その着方はなんなんだ」
「えー。俺はこれで」
「いいからちょっと来い! ベルンシュタインの着付けを頼まれてるから、お前もついでに直してやる」
「え、待ってってばあばばば」
 襟首を掴まれて引っ張って行かれる翡翠を、いつからか集まっていたベルンシュタインは見遣ると。
「相変わらずだな、あいつは……」
「お。ベルンも着物着るのか」
「一度着てみたいと思っていてな。お前もか、アル」
「ああ。うちのサザメ達も詳しいんだと」
 そんな中現れたカノンは、青地に銃口が長い銃の柄を散りばめた、一風変わった浴衣に赤の帯姿。
「珍しい柄だな。銃なのか」
 ベルンシュタインが、初めて見る柄に、しげしげと目を凝らす。
「『じゆう柄』っていうんだってさ、洒落てるっしょ」
「ほう。自由柄……か」
 ほのぼのと話す二人に、声を掛ける命蓮。
「カノン。お前もな……ちょっと直してやるから、一緒に来い」
「着付けが下手くそ? これでも頑張った方だっての!」
 むっとしたように、カノンの耳と尻尾が逆立つ。命蓮はそれを軽く流すと、
「コツがあるんだよ。着た時にこう、ここを合わせる。教えてやるから来るんだな」
 しぶしぶながら、好奇心が刺激されたのか、カノンもむくれながら同行する。
 そして……。

「よし、着物を着てみたいっていうのはこれで全部か?」
 命蓮の声が響く。
 集まった面々の前で、命蓮は簡単に、着物の構成や着る順番について説明する。
 続いて、実演も兼ねながら、面々と一緒に着替えていく。
「男の着付けって、実は女のそれよりもだいぶ手間がかからない。この機に覚えておくと後々便利だぞ」
 説明しながら、するすると自分の着物を着付けていく、その手際にも説明にも無駄がなく。
 どこか命蓮の口調にも弾んだものが感じられるのは、命蓮自身もこの機会を楽しみにしているからだろう。
「そうそう、羽織はこっちから羽織るとやりやすいんだ。……あ、紐をとめる対の組み紐がここにあるから」
 命蓮のわかりやすい説明に、時には手伝ってもらいながら。着慣れない面々も、着物姿に身を包む。
 最初はむくれていたカノンだが、命蓮の説明を聞いているうちに納得したのか、大人しく手を動かしながら、命蓮の言葉に聞き入る。
「ここをこうしてっと、これでよし!」
「上出来だな」
 着付けを直したカノンの浴衣は、その細い身体を引き立てるように、粋に仕上がっていた。
「これをこう……で。こういう感じでいいのか?」
「ああ。さすがだな」
「説明が良いからな」
 アルビレオも、橙色の着物を綺麗に着流してみせる。
 明るい橙の着物に黄の帯は、洒落ていながら派手すぎず、若々しく粋な印象だ。

 そんな中、少々手間取っていた空に、翡翠が声をかける。
「空くん、だよね。うん、おぼえてる。ニーナと同じチームだよね」
「あ……はい。その……着物は初めてで、その」
 遠慮がちに話す空に。
「うん、大丈夫だよ。えっとね」
 翡翠は、ふわりと笑って、命蓮の指南の通りに手を貸す。
「ほんとさ、暁の子達は皆、いい子達だよねぇ。暁の皆見てると、俺まで嬉しくなるもの」
 話しながら、翡翠は空の姿を整え、帯を結ぶ手伝いをして。
「よろしくね。暁の皆を。それから――ううん、まあ、いいや」
 翡翠が飲み込んだ言葉に、空は頷いて。
「……はい」
「……ありがとうね、空」
 紫の地に桔梗の古典柄、白い帯を結んで。
 鑑に映った姿は、爽やかで優しげな、少年の姿。
「ありがとうございます、命蓮さん、翡翠さん」
「どういたしまして。また、後でお話しようね」
 空は、手を振る翡翠と、並んだ命蓮に礼儀正しく一礼して。
「……ほんとにさ。いい子だよね」
「そうだな。だからこそ心配だが」
「大丈夫だよ。命蓮みたいな人がいるもの」
「……何を言っているんだ、お前は」
 言って目を逸らした命蓮の頬が微かに染まっていたのは、きっと満開の桜のせいだろう。

 そして。
「うん、なかなか粋じゃないか、皆」
 そう言って満足気に皆を見やる命蓮自身は、濃紺と灰が基調のシックな揃い。男はあまり派手に装うものではない、という持論の通り、男らしく落ち着いた風情である。
「なんか新鮮だよねぇ、楽しいなぁ」
 ふわふわと笑う翡翠の横で、着慣れない着物の袖を気にするベルンシュタイン。
「変わった衣装だな。お前やテューが着ている時から思っていたが」
「ふふ。ベルンも似合ってるよ?」
「いいからさ、屋台、屋台行こうよ」
「そうだ。僕も、みんなと合流しなくちゃ」
「そうだな。あいつらも待ってるだろうし」
「……転ばんようにな?」
 言った命蓮に、はぁい、と声を合わせて答え。
 感謝の言葉を残して、散らばっていく面々に。
「……まあ、こういうのも悪くない、な」
 命蓮は笑うと、彼らの後ろから、ゆっくりと歩き出した。


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A.A.0085/03/29
P.M.17:00
中立コロニー「吉野」
屋台エリア
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「よーし、全員集まったー?」
 元気よく声をかけ、ぶんぶんと手を振るのは翡翠。
 普段の着崩した着物姿とは異なり、今日は名前の通り翡翠色に、花鳥風月の柄の着物と羽織をきちんと着付けている。命蓮の指導のたまものだろう。その横にはいつもの球形メカ、ネフライトと、白い髪の少女――ニーナ。そして機械種達のリーダーとして名高い、ベルンシュタインの姿もある。
 琥珀色に黒縞の入った、粋な着物を着流した機械種の青年に視線を送るのは、空。
「お会いするのは初めてですけど、貴方のことは以前から」
 よろしくお願いします、と礼儀正しく頭を下げるニューエイジの少年は、どこか懐かしむように瞳を細めた。
 そうか、と首を傾げるベルンシュタインに、空は優しく笑うと――よろしくお願いします、と、頭を下げた。

「ニーナ」
 ふと、影のように現れた少女の声に、ニーナはどこか心配気だった表情を華やがせる。
「ジゼル!」
「大丈夫。様子、見ていた」
 黒衣に焔のような髪を隠した少女は、音もなくニーナの傍らに寄り添う。
 ニーナは、その手をそっと握ると。
「ジゼル。今日は、楽しい一日にしましょう…ね!」
「……楽しい、わ。ニーナ、一緒、皆、一緒、だから」
「……はい」
 嬉しそうにニーナはジゼルに身体を寄せる。
 そこに現れたのは、《金薔薇》の面々――ロザリンドと、オブシディアンの姿。
「ニーナ様、お誘いありがとうございます。今日は宜しくお願いしますね」
「くろちゃん!」
 オブシディアンの姿を見るなり、ニーナは駆け出して「彼女」に抱きついた。
 ニーナはオブシディアンのことが好きである。否、母や姉のように「なついている」というのが正しい。
 抱きつくのが主な感情表現のニーナにじゃれられながら、オブシディアンは照明部分を困ったように明滅させる。
 今回、ロザリンドの護衛として連れて来られた彼女。
 実のところ、その目的は、ニーナを喜ばせる為の計らいである。
 そんな二人の様子を見遣りながら、ロザリンドは密やかに微笑んだ。
 どうやら、計画は成功といえるらしい。

 続いて、集まって来たのは《星煌旅団》の面々。
 一同に着物姿の面々は、女性陣は華やかに、唯一の男性陣、アルビレオは粋な風情。
「桜の下で花を見ながら宴会か。こういうのを風流っていうのか」
「うん。J国らしいよね。…それにしても、アル、相変わらずだよねえ」
「何がだ?」
 話しかけた翡翠に、不思議そうに答えるアルビレオ。後ろでレンカが苦笑しているような気がするが、きっと気のせいだろう。
 そんな中、集まった面々を見回してサザメは僅かに考えると。
「初対面の奴も多いな」
「そうかもしれないわね。共同ミッションってそんなに多くないから」
 レンカの言葉に、サザメは面々を向くと、ぶっきらぼうに、けれどどこか親しみやすいいつもの口調で、告げる。
「カタギリ・サザメだ、呼ぶんならサザメでいい」
「おっ、自己紹介か? いいな! 俺はアスクレピオス、アスクでいいぞ! で、こっちはー……」
「俺か?俺はアルビレオ。同じく、アルでいい」
「ふふ。あたしはレンカで構わないわ」
 そうして自己紹介する面々に影響されて、そこかしこで自己紹介の言葉が交わされ。
「ま、こういうのも……たまには悪くないな、これが」
 発祥になった少女は、どこか嬉しそうに、微笑んだ。

「おやおや、随分と賑やかだネ」
 そうひとりごちながら合流したのは、美貌の少女。凍るような美しい銀髪も蒼の瞳も、今日は春の風情にふんわりと和んで見える。十人程度の面々を従え、それが様になっているのが不思議な存在だ。少女――ライサは、くすくすと笑いながら、一同の側に立ち、従えて来た者達――部下達の表情を見遣る。
 ……暗殺集団として強い結束と、厳しい日常を過ごすチーム《ポールノチ・サヴァ》。
 ライサが星間通信チャンネルの呼びかけに反応したのは、家族とも思う部下達に、たまには羽根を伸ばさせてあげようと思う気持ちがひとつ。
 そして……他のブレイカーチームの情報収集、という「名目」がひとつ。
(本当はわたしが、たまには遊びに出かけたいだけなんだけどネ)
 心のなかで呟いて、ライサはふと、チームの「片翼」を思う。
(……そもそもアイツ自体、外に出たがらないからネ)
 今頃どうしているやら、と頭の隅で思いつつ、今日の予定を再確認。
 部下達には、今日は好きに過ごすようにと既に通達してある。ライサ自身も、今日は気楽に羽根を伸ばすつもりだ。
 そして――
「やーん、お嬢さんってば可愛いですねえ!」
「…リーリ、それって発言おっさんじゃない?」
 声を掛けてきたピンク色の髪の女性に、ライサはにっこりと微笑んでみせる。
「光栄だネ。お嬢さんもかわいいヨ」
 そう、今日のライサは、普段とはいささか違った装いである。
 「ポールノチ・サヴァのライサ」といえば、行くところに行けば顔は割れているし、敵も多いことはライサもよく把握している。故に、簡単な変装を――と思っていたのだが。
 折角の衣装貸出しである。利用しない手はない。……無論、ライサ自身の「ちょっとした遊び心」があったことは否定しないが。
 眼帯こそ普段のままだが、氷の白銀を宿す髪は緩く桜の簪でまとめ、瞳と同じ蒼の着物にもまた、薄紅色の桜が咲く。紅色の帯を文庫に結んだ姿は、すっかり無害な美しい少女の出で立ちである。
(さて、面白い一日になると良いネ)
 ライサは集った面々を見渡して、くすりと悪戯っぽく笑った。

 あれ、と翡翠は首を傾げた。
「……ネフ、俺数え間違ってないよねえ?」
 すかさず、ネフライトからは「2名足りない」とのデータ送信。
「……参ったなあ」
 この人混みで、これだけの人数を引率しつつ、探すのは容易ではないだろう。
「……あの、翡翠さん。どうか、しましたか?」
 《暁の比翼》の仲間と共に、目を輝かせるニーナの表情を見て。
(まあ、あの人達もブレイカー。なんとでもなる、かな)
 後ろ髪を惹かれながらも、翡翠は二人の捜索を断念する。

 そして、一同が向かったのは、暮れゆく宵闇に明るく灯の灯る、屋台が並ぶ、縁日の賑わい。

「くろちゃん! あれ、やってみたい、です!」
 屋台を回りだして早々、そう言ってニーナが指差したのは、ヨーヨー釣り。
 紙で作ったこよりに針を付け、水に流れる風船――ヨーヨーを釣り上げる遊びである。
 データベースを参照し、ルールとコツを理解したオブシディアン。
「把握。早速挑戦してみましょう」
「どっちが大きいのを釣れるか、勝負、ですよっ!」
 そうして、並んでヨーヨーを釣り上げようとする二人だが――
「あら。こよりが切れてしまいました、私の負けですね」
「くろちゃん……」
 切れたこよりを翳してみせるオブシディアンに、ニーナが半眼で答える。
「くろちゃん……手を抜いてるでしょ」
 こう見えて案外と、勝負事にはこだわるタイプのようだ。
 本気でやってください!との抗議を受け、オブシディアンがぴこぴこと光る。
「構いませんが、その場合」
「その場合?」
「……ニーナ様、勝てなくなると存じますが。よろしいですか?」
「……望むところですっ! わたし、負けませんっ!」
 輪投げ、型抜き、金魚掬い。
 次々と二人は縁日の遊びを制覇していく……が。
 力に頼らない戦闘を主体に設計された……即ち技術に優れ、器用なオブシディアンは、どれもルールさえ把握すれば完璧にこなしてみせる。
 一方のニーナは、というと……。
「……も、もう一回、です! 今度こそ……!」
「……ニーナ様は、根気のあるお方ですね……」
「はいっ、勿論です!」
 ぐっ、と意気込むものの、オブシディアンとの対戦結果は散々である。
 けれど、それでも。
(ニーナ様、楽しそうですね)
 瞳をきらきら輝かせ、勝負に夢中になる様を見て。
 オブシディアンはゆるやかに明滅しながら、くるりと楽しげに廻った。

 それとは少し離れた場所。
 ロザリンドはひとり、食べ物系の屋台の出店を物色していた。
「色々と珍しいものがあるのう。レシピが欲しくなる所じゃな」
 きらりと目を光らせる。どうやら彼女は、《金薔薇》拠点のメニューの充実を企図している様子。
 そんな彼女は、金の薔薇とはいかなかったものの、山吹色の地に薔薇を織り、金糸で彩った艶やかな着物姿。帯もまた、金に近い淡い象牙色。ゆるやかに波打つ金髪は、薔薇の簪で緩くアップにまとめられていた。
 ロザリンドは出店のメニューをぐるりと見渡す。
 フランクフルトや焼きトウモロコシといった、世界的な、あるいは単純なメニューは、ロザリンドも知っている。
 興味を唆るのは、J国独自の様々な――
 例えば、お好み焼き。焼きそば、今川焼。
 話には聞いたことがあるが、現物を見るのは初めて……そういったメニューに、興味をそそられる。
 そのうちのひとつ、「たこ焼き」と書かれた屋台に、ロザリンドは足を止めた。
 くるくると丸くたこ焼きを焼く様に、目を奪われる。
 半球形の鉄板から、あっという間に球形のたこ焼きが出来上がり――
 とん、と、傍に居た誰かと肩が触れる。
 そちらに視線を向ければ、そこにはいつもどおりの黒装束に、焔のような髪を半ば隠した少女の姿。
 少女――ジゼルもまた視線を上げると、わずかながら驚いたように、首を傾げる。
「ローザ?」
「おぉ、ジゼル殿。ここにおったか。先日の協働、感謝するぞ」
「わたし、こそ。……ローザ、何、している、の?」
「うむ。食べ歩きじゃよ、珍しいものがあるようじゃな」
 ジゼルは少し、そのまま思案して。
「わたし、一緒。いい、かしら」
 ローザ、いつも、お世話なってる。
 ニーナも、私も、お礼言いたい。
 その言葉に、ロザリンドは笑んで快諾する。
 ふたりの少女は、連れ立って先ほどのたこ焼きの屋台を覗き。
「これ、食べるもの?」
「たこ焼き、というそうじゃな。J国西部の食文化だそうじゃ」
「そう……」
 ジゼルはしばらく、くるくると回るたこ焼きを見つめていたが。
「あの、ローザ。いつも、感謝。ありがと、う」
 唐突な言葉にロザリンドが首を傾げる。が、
「お礼。”おごる”する」
 その言葉に、思わずロザリンドは目を瞬いた。
「おごる、じゃと? 気を使わんでも」
「大丈夫、わたし、依頼、受けた。お金、ある」
 軽く、黒装束の袖を揺らす。ちゃりん、と金属のぶつかる音。……どうやら、真剣らしい。
 ロザリンドはいつもの様に落ち着いた笑みを浮かべると、
「では、有難く受け取っておくぞ」
 今度の協働報酬の割り当ては色を付けておかなければな、と心の奥で思案しながら。
 ジゼルがひとつ、と頼んだたこ焼きは、竹製の船に八つのたこ焼きが並んだもの。
 熱々の湯気に、載せられたかつおぶしが踊り、ソースのいい匂いが嗅覚を刺激する。
「熱そうじゃからな、気をつけないと」
 ロザリンドの言葉に、こくり、と頷き。
 ふうふうと冷まして、注意深く、もふ、と口をつける。
「……うん、食べられる」
「ほう。ソースがジャンクな味わいで、癖になるのぅ」
 メニューに加えなくては、などと話しながら、二人は屋台を回る。
 ふわふわの綿飴を手にしたジゼルが、これまたおそるおそる口をつける。
「……。…………。」
 発する言葉は無く。
 けれど、先程よりも心持ち、金色の瞳がきらきらと輝いている。
 それに気づいたロザリンドの目が、ひとつの屋台で止まった。
「……ふむ。では、このりんご飴はどうじゃろう」
「りんご……飴?」
 ロザリンドが差し出したのは、小さなりんごに飴をからめて固めたもの。
 受け取ったジゼルが一口齧ると、飴のやさしい甘さと、爽やかなりんごの風味が広がる。
 微かに、ジゼルの表情が緩む。
「なんだか、心、幸せになるわ」
「そうじゃな」
 少女の反応に、ロザリンドもまた、幸せな気持ちを受け取って。
 同じりんご飴を、並んで齧りながら。
 少女達は笑い交わして、また、賑わいの中へ。

 賑やかな雑踏の中、男はふらふらと周囲を見渡しながら歩く。
 ブレイカーが集まるなら、もしかしたら、あの娘も。
 そう思いながら、参加した「お花見」ではあったが――翡翠に誘われたのもあったが、どうも奴は覚えているのか怪しそうな様子である。本人に聞けば、「忘れてないよ!」と主張するのだろうが……
 ともあれ、人混みでごった返すこの中で、あの娘を探すのは、なかなかの難事業になりそうだった。
 男――ラードスチは、もう一度辺りを見渡して……記憶の中にある銀髪の影を見つけた気がして、駆け寄る。けれども、
「……何?」
「……ああ、すまん。人違いだったな」
 それは、見たこともない少女の姿。
「……幻を掴むような話、か」
 ひとり呟いて、ラードスチはまた、人混みの中へ消えていった。

 わあああ、と西の屋台から、盛大な歓声が上がった。
「誰かが大技でも見せたのかな」
 伸び上がって目線を巡らせる翡翠に、ベルンシュタインは綿飴を齧りながら、さあな、と軽い口調で応える。
「案外、お前が言っていた、いなくなった例の二人組かもしれんぞ」
「えー? そんな感じしなかったけどなあ」
 その顛末を彼らが知るのは、今少し先の話。
「……それにしてもベルン、さっきから良く食べるねぇ。それも甘いものばっかりさ」
「そうか?」
「そうだよ。チョコバナナに水飴、林檎飴に綿飴。胸焼けしない?」
「……胸焼けとは何だ?」
 不思議そうに首を傾げるベルンシュタインに、がくりと翡翠は肩を落とす。
「聞いた俺が馬鹿だったよ……しかも、買い込んでるし。同じもの」
「ああ、これをつまみに、砂糖を何杯も入れた酒を呑む。楽しみだな」
「……ベルン、味覚機能調整したほうがいいんじゃない」
「ウォトカやビールには砂糖を入れるだろう。異常はないぞ」
「……聞いた俺が馬鹿だったよ」
 二度目の言葉を発して、額に手を当て、はぁ、とため息を付く翡翠。対するベルンシュタインは、至極真面目に翡翠の顔を眺めては、
「熱でもあるのか? 一回破損しているんだから、身体には気をつけろよ」
「はーい……」
 もはや言い返す気力もないらしい。
 けれど、と、表情を一転させ、翡翠はふわりと笑う。
「ベルンと屋台巡りして遊んで、お花見なんてね。俺の夢がひとつ、かなったかな」
「夢? 大袈裟な奴だな」
「大袈裟じゃないよ。……忘れないね」
 長い年月の相棒の、心底嬉しそうな笑顔に。
 ベルンシュタインもまた、僅かに笑った。

「ひたすらぶらぶらしたい時ってあるよね。今日みたいな気分の時とかさ」
 他のチームの面々と並ぶように、カノンはぶらぶらと賑やかな出店を歩く。
 チーム……《アノ・フリート》のこともあるけれど、たまには抜けたくなることもある。チームらしいチームしてるのってやっぱ合わないしね、緩いくらいがちょうどいいや。と、心の中で呟いて。
 りんご飴もいいし、綿飴、箸巻き、豚汁にラムネ。
 と、ひときわ大きな屋台村の前に立ち寄って、カノンは首を傾げる。他の屋台とは僅かに趣が違って……なんというか、えらく気合が入っている。
 そんなカノンに景気のいい声を掛けるのは、「祭」の法被を上質なスーツの上に羽織った、色黒に銀髪、サングラスが怪しい……否、特徴的な、大柄な男だ。
「ヘーイ、BOY! 寄っていきまセンカー? 外宇宙商工連合の総力を結集した屋台、何でもアリマスヨー! 味も保証付き、お任せデスヨー」
「外宇宙商工連合……? こんなところにも出てるんだ」
 外宇宙商工連合。地球でも宇宙でもその名を知らないものはいない、超巨大商工連合である。まさか、屋台まで出しているとは。
「勿論デース、人が集まる、色々食べて飲んでハッピー、お店を出せば対価も集まってハッピー。イイデスネー」
 カノンの言葉に、男――ゴンちゃんは、楽しそうにお好み焼きを掲げる。
「あ、社長! いらしてたんですか!」
 と、そこに現れて声を掛けたのは、ピンクの髪に、金と翠のオッドアイが目を引く少女――リーリヤだ。
「Ms.リーリヤ。楽しんでますカー? ハッピーですカー?」
「……ええ、ローンのことがなければ」
 ぼそりと言ったリーリヤの言葉は、ゴンちゃんの耳には届いているのかどうか。
「ともあれ、Ms.リーリヤもBoyも! 色々ありますヨー、対価は……女性陣は写真と、ソレを利用したモノの制作権と販売権。Ms.リーリヤはOKらしいので食べ放題飲み放題ー」
「え、なにその条件。お姉さんほんとにいいの」
「まあ、いろいろあってね」
 言うリーリヤの表情に、どことなく諦めの影があったのは、カノンの気のせいではなさそうだ。
「他の方もOKなら無料で提供。無理ならお金払えデース。男性陣は……脱いだの撮って良いナラー?」
「やだよさすがに」
「じゃあお金払えデスネー。ウーン、良くわからないデース」
「どんな商売なのさ……」
 呆れたように耳と尻尾をふにゃりとさせるカノンの後ろ、ふわりと狐耳の少女が現れる。
「そうなん?うちらもロハにしてもらえますぇ?」
 くつくつと笑いながら言うのは、煉華。同行している空が、えっ、と慌てる傍ら、狐の面を片手に、口元を隠して、悪戯っぽい目で見上げる姿に、ゴンちゃんは大袈裟に両手を広げて。
「煉華さんはソウデスネー……色々言ってきたら対応面倒ナノデー、普通にお金払って食べて飲んでクダサイー、あ、お約束の写真は後で撮りますケドネー」
「そぅ?ふふ、なんやら残念ですわ。でも、美味しそうなもんいろいろやし、ちゃあんと買うていきますぇ。そやね、たとえば……」
 これとか、これも美味しそうやね。言う煉華の言葉に、ほっと胸を撫で下ろした空が、一転して目を輝かせる。
「綿飴とりんご飴、ここにもありますね、さっきと違う。かき氷もあるし、チョコバナナと……あっ、パフェもある!」
「空の旦那、さっきから甘いモノばっかりやないの。身体に悪いですぇ」
「す、すみません。甘いもの、好きで……」
「ふふ。旦那、かわいいところがありますなぁ」
 笑う煉華に、空は少し照れたように、パフェを受け取って破顔した。

 そんな煉華と空の後ろ、立ち寄ったのは賑やかな、《星煌旅団》の面々。
「へぇ、じゃあうちの団長とかはどうなるんだ?」
「Oh、Mr.アルビレオは好きな女性のタイプだけでイイデスヨー」
「随分条件が優しいな」
 訝しむサザメに、ゴンちゃんはサムズアップしてみせる。
「何でかって?それだけで十分な利益見込めるからデスヨー」
「さすがうちの団長ね。色々と宇宙規模って噂は聞いてたけど」
「どういうことだ、それ」
「団長は知らなくていいと思うぞ」
「そうそうー。知らぬが花ってね」
 わいわいと女性陣に囲まれて、うろたえ気味のアルビレオ。
「で、団長の好きなタイプって誰よ」
「だなー、誰よ誰よ」
 うりうりと両側から、レンカとアスクレピオスにつつかれる。その面々を肩をすくめて見遣ると、サザメは呆れたように呟いて。
「ま、俺らも何か買っていくか」
 和らいだ表情で、面々を見渡す。
「弁当なら持ってきたぞ?」
「特製飯じゃないでしょうね」
「あたりめーだろーが!」
「俺も作ってきた。でも屋台来ると、お好み焼きとか惹かれるな」
「甘いものもいいな。かき氷とか、縁日って感じだしー」
「ね、団長?」
「今回は、俺も許可するぜー?」
 女性陣の言葉に、アルビレオははぁ、と肩を落とすと。
「よし、皆で好きなもの一つづつな」
「了解!」
 賑やかにあれがいい、これで、と話し始める女性陣に、アルビレオは困ったように――けれど楽しそうに、破顔した。

 その様子を眺めていたリーリヤ。
 ひと段落して、手の空いたゴンちゃんに、そうそう、社長、と声をかけると。
「お約束は守りますから、例のモノ、頼みますね」
 言ってウインクした彼女に、同じくゴンちゃんはウインクで返す。
「日本酒、焼酎、ワイン、ウォトカ、アブサン、ウイスキーに梅酒、ソフトドリンクも揃えてありますヨー」
「さっすが社長! それじゃ、後でよろしくです!」
 リーリヤは楽しげに笑うと、お花見会場へと向かっていった。

 一方、同じ屋台村。
 先程までは翡翠と並んで歩いていたベルンシュタインだったが、現在はというと、右腕をがっちりテュルキースに組まれて、半ば引きずられている状態である。
 とはいえ、甘いものに目がないテュルキースと、同じく極度の甘党のベルンシュタイン。
 甘味も多い屋台を回るには意気投合しているらしく、楽しげな様子だ。
「アメがいれば、黙ってないんだろうけどねぇ。……どこ行ったのかなぁ、アメ」
 と、二人の様子を見ながら、首を傾げる翡翠。
 人数確認の時には、確かにいたと思ったのだが……。
 そんな翡翠は目にも止めず、テュルキースは甘えるようにベルンシュタインの腕に身体を寄せる。ご満悦そうな様子はまるで、大好きな相手に甘える子猫のよう。
「ベルン、僕は今度はわたあめが食べたいですの」
「あぁ、良いな。カルメ焼き、というのは何だ?気になるな」
「クレープやワッフルもあるですの。かき氷……これは食べたことがありませんの」
「かき氷か。翡翠が言うには、削った氷に好きなシロップを掛けて食べるものらしいな」
「ベルン、僕、かき氷食べてみたいですのー」
 上目遣いのおねだりに、やれやれ、とベルンシュタインは応じて、かき氷をふたつ、法被姿の屋台の店主から受け取った。
 テュルキースは、その髪に似た青、ブルーハワイのシロップ。
 ベルンシュタインはというと…「一番甘いものはどれだ?」と聞かれた店主にとりあえずと勧められた、スタンダートないちごミルク味だ。
「頭がきーんとしますのっ」
 そんな機能まで実装されているのか、はたまた何かのエラーか…口いっぱいにかき氷を頬張ったテュルキースが、思わずこめかみを押さえる。
「大丈夫か?」
「ベルンが心配してくれるなら大丈夫ですの。でも、冷たくて美味しいですの」
 恋する乙女の表情で、ベルンシュタインに視線を送るテュルキース。
「ふふ、ふたりってばカップルって感じー」
「翡翠は邪魔しないでですの」
「えー。つれなーい」
 ようやく追いついた翡翠が茶化し、テュルキースに冷たくあしらわれると、その背後から、唸るような低い声がひとつ……。
「……テュー。後でただじゃおかないんだから」
「あれ、アメ。そんなところにいたの?」
 その迫力に、思わず怯える翡翠だった。
 その後、甘味に狙いを付けた甘党二人が、片っ端からメニューを制覇していったのは、その食べっぷりからも、後々屋台の間で伝説になったとか、ならないとか。

「……なんか、大変なことになっちゃったな」
 じゃんけん勝負にさいころ、当たり籤。
 屋台には、何らかの「当たりが出ればもうひとつ」が多い。
 出店に寄る度、どういうわけか当たりを引き続け、外宇宙商工連合の屋台村を出る頃には、カノンはあっという間に大荷物になっていた。
 ……その、抱えた甘味をじっと見遣る影がひとつ……いや、いくつか。
「あ、上げないよ。そんな目で見つめても上げないんだから」
「……。」
「…………。」
 ばったり出くわした面々に、なにやら熱い視線でその荷物を見つめられ、カノンはずずっ、と一歩下がった。
「いや……その甘味は見かけなかったな、と思ってな……どうやら余っているようだし」
「そうですの。善意ですの」
 と言いつつ、見つめる影――ベルンシュタインとテュルキース――は目を輝かせている。
「……もう、しょうがないな!ひとつづつあげてもいいよ。ひとつだけだからね!」
 どっちが年長者か、わかったものではない。
 ついでに言えば片方は銀河系最強と目されるSSクラスのブレイカーであるのだが、その威厳も欠片もない。
 その後ろにいた翡翠が、ひょこりと顔をのぞかせてカノンの手元を見て。ひとつのメニューに、意外そうな表情を浮かべる。
「箸巻き?珍しいね」
「うん。宇宙に出てからは初めて見たっけ」
 なんかこの屋台、ちょっと珍しいのがあるよね。
 そうカノンは呟いて、
「そういえば、湯豆腐の屋台もあったっけ。珍しいなと思ったんだけどね」
 「当たりが出たらもう一人前」。
 そう書いてあったので、慎ましく遠慮したカノンなのだった。これ以上、かさばる茶碗ものは持てそうにない。
「それは、グラですの」
「あぁ、そういえば……湯豆腐の屋台を出すって言っていたわね」
 グラナートは、《宝石箱》のメンバーのひとりなの。
 説明するアメテュストに、テュルキースが言葉を重ねる。
「お酒のつまみらしいですの。興味があったら、行ってみたらいいんじゃないかしらですの」
「あー…僕は遠慮しとくや」
 苦笑いするカノンに、テュルキースは不思議そうに首を傾げる。
「そうですの? まあ、グラだから構わないですの」
 なんだか随分な扱いだなぁ。
 内心そう呟くカノン。心の底でほんの少し、その「グラ」とやらに同情せずにはいられない。
「で、その簀巻き、食べきれないくらいありそうだけど」
 きらきらした瞳で――わざわざ腰を落として、見上げてくる翡翠の笑顔。
「くれる?」
「あげないよ!」
 思わず、そうツッコんだカノンなのだった。
 とはいえ、ああもきらきらした瞳で迫られると、断れないのがカノンである。
 分けてもらった品々を手に、手を振って雑踏に紛れていく《宝石箱》の面々を見送って。
「……まさか、《宝石箱》におごることになるとは思わなかったや」
 小さくつぶやきつつ、まあ、いっか。と、軽くなった荷物を持ち直すと、カノンはぱくりと箸巻きを頬張った。

「お、神社か」
 サザメが気付いたのは、小さな神社だ。
 小さい神社といえど、今日のお祭りは、神社の縁日も兼ねている。
「おみくじ、引いていくか」
「おみくじ?何だそれ」
「占いの一種だ。これを引いて、出てきた数字の紙を貰う。それに運勢が書いてある」
 説明するサザメ。
 白と赤の巫女服の女性から受け取った筒をじゃらじゃらと振って、出てきた棒に書かれた漢数字。
 それが示す一枚の紙を受け取って、サザメはなんとも微妙な表情を浮かべた。
「末吉か。まあ妥当なところかね……」
「それっていいのか?悪いのか?」
「あんまり良くはないな。大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶……と。この順に運勢がいいんだと」
「なるほどなー。俺も引いてみっか!」
「あ、あたしも。団長もどうよ」
「そうだな。面白そうだ」
 そうして受け取ったおみくじに、アスクレピオスは目を輝かせた。
「おぉ、やったぜ。大吉!」
「あたしは…小吉ね。まあ、そうね…アスク、恋愛は『積極的に行けば叶う』そうよ?」
「だぁーから、なんでそういう話になるんだっつーの!」
「ふふふー。団長は?」
「俺も大吉」
 そういっておみくじを見せるアルビレオの表情も嬉しげだ。
「ほーう。で、恋愛運は?」
「なんでそういう話になるんだ!?」
「同じ反応してるー」
 にまにまとアルビレオとアスクレピオスを見るレンカに、揃って頬を染めて否定するふたり。
「運のいいというか……愉快な連中だな……」
 サザメは思わず苦笑して、改めて、末吉のおみくじに目を通す。
 そこにあったのは、こんな一文。
 ――苦難は待ち受けている。けれど、仲間を信じれば叶う、と。
 ……仲間、か。
 そう言ってサザメが見上げた先には、いつも賑やかで……けれどどこか安らぐ、見慣れた顔が笑っていて。
 サザメはそっと口端を緩めると、おみくじの文章を心に刻むように辿って……それを、細く折り畳む。
「何してるんだ?」
「こうして、あそこの紐におみくじを結んでいくんだ。運が上向くんだと。大吉のお前さんは、やらなくてもいいと思うけどな」
「……でも、サザメは結んでいくんだろ?」
「ああ、俺はな」
「じゃあ俺もだ。俺達みんなで《星煌旅団》だからな」
「なんなのよ、その理屈」
 アスクレピオスの言葉に、レンカが言葉を重ね。アルビレオもまた、そのやりとりを笑って聞きながらおみくじを折りたたんで。
 4つのおみくじは、並んで紐の上に結ばれた。
「……さ、次は射的でもやるかね」
「お!射的はちょっと自信あるぜー?」
「あたしも負けない程度にはね。勝負する?」
「お前らもほどほどになー」
 賑やかに言葉を交わしながら、四人はまた次の屋台の並ぶ方へ。
 結ばれていったおみくじが、さらさらと春の風に揺れた。

 ぱこん、と気の抜けた、軽い音が響く。
「うぅ……」
「ニーナ様、気を落とさずに」
「……何ダ。射的かイ?」
 残念そうに射的の銃を置いたニーナ。
 そこに声をかけたのは銀髪の少女――ライサだ。
 数人を引き連れながらわたあめを齧っていた少女は、側にいた浴衣姿の男にわたあめを預けると、コインを支払って、銃を手に取る。
「こんなもんは要は経験だヨ。銃のクセを理解すれば、目を瞑ってても外さない」
 どんな銃であろうと――それは、ライサにとって手足同然だ。
 事実。
 先ほどのニーナの4発分の射撃を見て、ライサにはこの「銃」の癖が読めていた。
 僅かに右に逸れる弾道の癖。弾の速度と重さ、空気抵抗。
 そして――ニーナが狙っていた兎のぬいぐるみの、「重心」に当たる一点。
 それさえ確実に当てればいい、それだけのシンプルな事だ。
 故に。
 銃を手にし、ライサは目を閉じる。見物していた客から、どよめきが起こる。
 そう、見えなくとも――視える。
 ライサは完璧な姿勢で銃を構え、一発を放つ。
 それは寸分狂わず、兎の重心をとらえ……
 ぽふり、と軽い音を立てて、棚の下に転がった。
「……凄い……!」
「なんてことはないサ。お前も、慣れればできるようになるヨ」
 観客の拍手喝采を背に、受け取った兎のぬいぐるみをニーナに手渡しながら、ライサは楽しげに微笑んだ。

「よっ……と」
 軽い手つきで投げられた輪は、正確無比に猫のマスコットを捉える。
 先程の射的でも幾度と無く起きた歓声を受けて、アリサは軽く腰に手を当て、笑顔を見せる。
 メディックの集中力と、医療大学で鍛えた「急所狙い」の腕前。
(甘く見てもらっては困るのよ)
 そう、アリサが思う通り。
 それは場面を変えても、「その場で最も適切な行動を的確に行う」能力として機能する。
 射的でも、景品の「急所」……即ち「どこに当てれば落ちるか」。ひと目でそれを見破るアリサは、次々と景品を落としては、周囲の歓声を浴びていた。
 「狐お面と赤髪の女の子の話は聞いてたが…」などと、店主が張り紙を見ながら暗い顔で何やら言っていたが、何の話やら。先程離れた場所で起こっていた歓声と関係があるのかもしれないが、ひとまずアリサには関係のない話だ。
 そして、輪投げ。こちらも、軌道と空気抵抗を計算し、正確に投げれば、目標の場所に落とすことは、集中力と精密な手技を持つアリサには朝飯前である。
「参ったね。お嬢さんたいしたもんだ。銀髪のお嬢さんお断り、って張り紙をうちも張るかねえ」
「ありがと。こういうのは得意なのよ」
 思わず苦笑しながら山のような景品を渡す店主。本日いくつめかわからない戦利品を受け取ると、アリサはちらりと、側にいたもよぎの様子を伺う。
 アリサが射的や輪投げを制覇している間、「ビーストボディ」……彼女の場合は、猫の遺伝子の能力。それをフル活用して、屋台の美味しそうな食べ物を見極め、狙っていたもよぎ。
イカ焼きやフィッシュ&チップス、そしてみかんの入った水飴と、次々と制圧していた彼女が次に足を止めたのは、金魚すくいの屋台である。
 屋台の傍ら、金魚が泳ぐ小さなプールに足を止めて、しゃがみ込む。思わずぴこぴことその若草色の猫耳が興味深そうに動き、同じ若草色の尻尾が楽しげにふるふると揺れる。
 ……この反応は。
「……もよぎちゃん」
「ふえ?」
「……金魚は食べられないからね?」
 やや半眼で言うアリサに、もよぎの耳と尻尾がぴくぅ、と反応する。
 ぎぎぎ、と振り返ったもよぎの瞳は、それはもうきらきらと輝いていて……
「金魚ちゃんは食べられないよー、です? そ、そんなこと私だって知ってますよー!」
 立ち上がって、アリサをぺしぺしと叩くもよぎ。
「……いや、知っているとは思ったんだけど、その揺れる耳と尻尾を見ているとどうも心配で」
「大丈夫ですよー。かわいいなって思ってただけです!」
(かわいいっておいしそうの意味じゃないよね……)
 内心で突っ込むアリサだが、それはともあれ。
「次は……屋台かな」
「ですね。美味しそうなものが一杯ですよー」
 若草色の少女と銀髪の少女は、並んで再び屋台を見渡す。
「たこ焼きも美味しそうだし、焼き鳥やから揚げも美味しそうだし」
 指折り楽しげに数えるもよぎは、再び耳と尻尾を楽しげに揺らして。
「やっぱりデザートにはチョコバナナにりんご飴ー、綿飴にー……アリサちゃんは何が好きです?」
「あたしはたこ焼きとーお好み焼きとー……デザートはチョコバナナかな、やっぱり」
「ですよねー」
 相棒との意見の一致に、思わず満面の笑みを浮かべるもよぎ。こういう一致は、長く一緒にいても、やはり嬉しい。
「たこ焼きだったら、あそこが美味しそうですー。それに、チョコバナナならあそこ」
「そうだね。あっ、ラムネ。ラムネ買ってこないと」
「ラムネ! 私もラムネ欲しいですー」
 言いながら、再び並んで屋台の雑踏に消えていくふたりは、決して分かたれない、寄り添う花のように。


「ロザリンド様、どうなさいましたか?」
 とある屋台の前、足を止めていたロザリンドに、オブシディアンが問う。
 お土産じゃよ、とロザリンドは、悪戯っぽく微笑んで。
「主が遊び呆けて土産も持ち帰らぬのでは、立つ瀬がなかろう?」
 その手にはパックに入った焼き鳥の串とたこ焼き、袋に入ったわたあめに、ミニカステラとりんご飴。
「遥たちが待っておるじゃろうからな」
「はい。お手伝いします、ローザ様」
 オブシディアンは運搬用アームを展開し、器用にロザリンドの荷物運びを務める。
 ジゼルとニーナも合流し、屋台の何が楽しかったか、楽しげに語り合う。そんなジゼルとニーナの手にも、お花見で皆で食べようと、色々なメニューの入った袋。
「……さて。そろそろ良い頃合いかのぅ」
 時刻はそろそろ18:30。
 消灯とライトアップが行われる時間を考えると、丁度良い頃合だ。
 4人は連れ立って、お花見の会場へと向かう。


=====
A.A.0085/03/29
P.M.18:30
中立コロニー「吉野」
桜舞公園
=====

「こっちこっちー」
 手を振る翡翠の周りには、この人数が集まって宴会を開けるだけのレジャーシートが引かれていた。
 側では、何やら機嫌が悪そうに明滅するネフライトの姿。どうやら場所取りを任されていたらしく、ご立腹のようだ。
「悪かったって、ネフ。ありがとうね?」
 そう言う翡翠に、ネフライトは不機嫌そうだが……どこかまんざらでもなさそうに明滅する。お前はしょうがないな、といったような風情だ。
「ネフのおかげだよ。さ、みんな来るのが楽しみだよねぇ」
 言うと、翡翠はネフライトの横に腰を下ろす。

 そんな会場に向かいつつ、通信用端末から何やら会話をするのは命蓮だ。
《へえ、お花見? 良いね、花を愛でる、という文化は》
「ああ。良いものだぞ。お前も来ればどうだ」
《ボクには仕事があるからね。あぁ、花より団子、縁日とお祭り騒ぎ……そちらの文化も承知しているよ。そうだね、そんなキミ達にピッタリのフードメニューがあるけれど……どうかな? 今なら通常の30分以内デリバリーが可能だよ》
「まさにそれをお願いしたくてな。よろしく頼む。人数は……」
 と、通信を行っている命蓮に、たまたま通りかかったロザリンドが気付く。
「注文かの。ということは……あやつじゃな」
「ローザか。鋭いな……いや、皆にはまだ秘密で頼む」
「ふふ、言うつもりはないよ。安心するんじゃな」
 くすくすと笑うロザリンドに、命蓮もまた表情を緩める。
「さて、ローザがいるということは、あいつらも揃っているのか」
「あぁ、《金薔薇》と《暁の比翼》は集合済みじゃよ。一人遅刻しておるがの。お主も早く来るがよいよ」
 賑やかな宴になりそうじゃの、と、金の少女は綻ぶように笑う。

 ロザリンドと命蓮が戻った先には、《宝石箱》の面々にオブシディアンと《暁の比翼》の面々……そして、さっきまでは見えなかった男が一人。――アレイである。
 明らかに着慣れていない浴衣姿でマイペースに登場したアレイは、一足早くトルコの酒、「ラク」で一杯やっているらしく、真っ赤な顔。
 つまみに広げているのは、焼きそばと、ケバブ。
 焼いた肉を削ぎ落とし、野菜と一緒にパンに挟んだケバブはニーナや翡翠には物珍しかったようで、翡翠などは早速つまみ食いにあずかっている。
「ケバブ、初めて食べたかも。おいしいねぇ」
「まあな、オススメって奴よ」
 言って「ラク」を呷るアレイ。
 「獅子の乳」とも呼ばれるラクは、アルコール度数も45度と高い、強い酒である。何杯目とももう数えていないそのグラスを空けると……それはもう、アルコールが回っているのは自明のことで。
 ロザリンドに気付いたアレイ、早速ロザリンドにグラス片手に迫ると、ぐいっと肩を抱いて笑顔である。
「ローザもぉ、一杯どうよ。トルコの酒は美味いぜ?」
「……アレイ、それがしは一応未成年でな」
「大丈夫大丈夫ー」
 大丈夫じゃないよこらー、という声が後ろから聞こえたが、聞こえないふりをする。
 ……顔が近い。
 ロザリンドとしてもアレイは大切な仲間だ。仲間ではあるが……ここはやむを得まい。ちらり、と視線を交わすのが早いか、「彼女」が動くのが早いか。
「アレイ様。その辺りで……失礼いたしますね?」
 素早く動いたオブシディアンが、作業用アームを器用に操って二人の間に割って入り。ロザリンドを引き離すと、さらりとアレイをアームで拘束する。
「酒癖さえなければ、おぬし、色々と悪くないのだがのう」
 苦笑するように、ロザリンド。
「……独りで飲むのも、味気ないんだよ」
 ぽつりと漏らすアレイに、思わぬところから声が飛んだ。
「ならばご相伴に預かるとするか。俺も強い方ではないがな」
 言葉の主は、金色を纏うアンドレイターの青年……ベルンシュタイン。
「俺でよければ、だが」
「あんた、あのベルンシュタインだろ?」
「ああ。だが、酒の席では関係ない、と聞いたぞ。そいつからな」
 さらりと翡翠を指して。
「え、うん。言ったけどさ」
「なら問題ないだろう」
「まあねえ……まあ、じゃあ、ふたりとも飲みなよ、ってことで」
 翡翠の酌でラクを酌み交わす二人に。
「……甘くないな」
「ベルン、普通お酒は甘くないよ」
「酒が甘いってどういうことだ……?」
 酔いが回っているのに思わず、冷静にツッコんだアレイなのだった。

「あ、社長! ありがとうございます!」
 ゴンちゃんの姿に、早速声を掛けたのはリーリヤだ。
「Hi! ご依頼の本場のウォトカもバッチリデスヨー。各種リキュールやスピリッツも準備済み、これで問題ないですカネー?」
「完璧です! 社長、さすが!」
 そう言ってきらきらと目を輝かせたリーリヤ。
「今回はあたしが店長の、簡易酒場を提供出店している気持ちでいきますよ。ふふふ」
 ガールズ・トークに花を咲かせたいですねー、と、楽しげにリーリヤは、グラスを並べ始める。
「――そういえば」
 思い出す。
「やたら、ウォトカに強いひとがいるらしいんだけど。誰だったかな」
 言っていたのは、白橡色の髪の青年――翡翠だ。
「……誰なんだろう。お酒を出していたら、会えるかな?」
 探してみよう、と心に決めて。
 リーリヤは再び、「簡易酒場」の準備に戻る。
 彼女に何かを伝えるように、ふわり、と桜風が吹いた。

 そうするうちに、19:00丁度。
 公園を照らす明かりが一斉に消え。
 コロニー壁面・底面を覆っていた障壁が、一斉に透明に変わる。
 ――そこに広がるのは、一面の星の海。
 真っ暗な、どこまでも透明に広がる漆黒に、きらきらと宝石を散りばめたように輝く星々が、頭上に、目の前に、足元に……周りいっぱいに広がる。
 そして。
 ぽつり、ぽつりと明かりが灯り、それは満開の桜を、星の海に浮かび上がらせるように照らし出す。
 視界一面の星空に、幻想的に浮かぶ桜。
 集まった面々から、一斉に歓声が上がる。
 まるで、宇宙に浮かんでいるように。
 そして――賑やかに、宴会が始まる。

「さー、召し上がれっ!」
 どどん、とアスクレピオスが広げたのは、大量の弁当箱。
 いくつかの弁当箱に小分けされたおにぎりは、どーんと二升分はあるだろう。
 もうひとつの箱には、たこさん・かにさんの形に切って炒めたウインナーがどっさり。
 さらに、ほのかに甘い玉子焼きが七本分。だし巻き卵が二本分。こちらは食べやすいよう、おおまかに十等分されている。
 そして、残りのひと箱と、お弁当の隙間には温野菜サラダとポテトサラダ。
 広げたそのメニューと量に、周りからおおお、と歓声が上がる。
「あとは酒のつまみにクラッカーとチーズと生ハムは用意した! あとは適当に食え!」
 おおざっぱに、それでも綺麗に盛りつけられたクラッカー類を並べるアスクレピオス。
「流石だな」
「いやー…おにぎりから先に作るんじゃなかった。反省」
 アルビレオの言葉に、ぺろりと舌を出すアスクレピオス。どうやら、この壮観なおにぎりは、最初に作った勢いの産物らしい。それにしても、これだけあると感動を呼ぶ量である。
 それからな、と、アスクレピオスはウインナーの重箱を指す。
「お弁当の定番!たこさんかにさんウインナー!! って書いてたけど見る本間違えたかなって思ってる」
 その通り、言われてみれば、慣れないのかレシピが間違っているのか、どことなくたこさんもかにさんも不格好なものが混ざっている。
 しかし、「多少」の不格好はあれど、お弁当箱に集うたこさんかにさんは非常に可愛らしく。
「あはは、たこさんもかにさんも良く出来てるじゃないか。アスクは器用だな」
 いまいち納得の行っていない様子のアスクレピオスに対し、かにさんウインナーを一つつまんだアルビレオ。確かに足の開き方が若干ばらばらだが、可愛らしいことに違いはないし、何より――
 ぱくり、と頬張ると、優しい塩気と旨味が広がって。
 美味いな、と素直にこぼれた感想に、アスクレピオスは心の底から嬉しそうに破顔した。
「……俺も作ってきた、あまり自信はないんだがな…これが」
 そう言ってサザメが広げたのは、これまた彼女手製の弁当だ。
 こちらは稲荷寿司に、和食を中心とした、アスクレピオスの弁当とはひと味違うラインナップとなっている。
 一口サイズの焼き魚に、出汁の効いた煮物。別の箱には手製の桜餅と道明寺が桜の香りを纏い、三色団子が規則正しく並んでいる。
「おぉ、ふたりとも随分と豪勢だな」
「サザメすげー。これ、自分で作ったのか?」
「……まあ、な」
「さすがじゃない。やっぱサザメはポテンシャル高いわね」
 アスクレピオスとレンカの言葉に、思わず真っ赤になるサザメ。こういうことで褒められるのは、なんだか気恥ずかしくも、やはり嬉しくて。
 早速、と、アルビレオが煮物に箸を伸ばす。J国の煮物は素朴な見た目に対して手のかかる料理だ。大ぶりに切られた筍は歯ごたえも良く、甘辛く出汁の効いた煮汁がしっかりと染みている。ここまで味を含ませるには、時間と手間がかかることは、アルビレオも知っている。……美味い。
「サザメの弁当も美味いなー」
「そうだと、いいんだが……お世辞ならいらんぞ」
 伏せた目を逸らすサザメの頭を、ぽふぽふと軽くアルビレオは撫でると。
「いやいや、よく出来てるよ。これだけできりゃ十分だ」
「……そうか」
 笑いかけたアルビレオに、視線を逸らしたまま、けれど目元を緩ませて。サザメの頬は、ほのかな桜色に染まっていた。
「アルは?」
「料理については俺はからっきしでな。食べる専門」
 レンカの悪戯っぽい一言を、アルビレオはさらりと流して。その代わり、と、持ち出したのはウィスキーの瓶。知る人なら知る、手頃で美味な逸品だ。
「飲むか?」
「ちょっとなら頂こうかしらね」
「俺は未成年」
「俺は……勧められたんじゃしょうがねーな!」
 持ってきた氷を人数分のグラスに入れて、ロックで口にすれば、冷たく冷えた琥珀色の液体の、芳醇な香りが広がる。
「飯が美味いと酒も進むなー」
「飲み過ぎるんじゃないわよ?」
「倒れたら特製飯な」
「…まあ、団長に限ってなさそうだがな」
 アルビレオの一言に、三人は口々に言葉を重ねて。
 わいわいと箸を進める四人の周り、踊るように桜吹雪が舞った。

「んじゃ、俺、弁当配りに行ってくるなー」
 言って、アスクレピオスが《星煌旅団》の面々の元を離れたのは、チームの一同がひと通り弁当に箸を伸ばし終えた頃。
 勿論おすそ分け分はぬかりなく、しっかり別の弁当箱に入れてある。アスクの玉子焼き楽しみなんだー、とほわりと笑った顔を思い出すと、思わず表情も優しくなる。自分の料理を楽しみと言われるのは、やはり、嬉しい。
 僅かに離れた場所でわいわいと賑わっているのは、《宝石箱》と《暁の比翼》、《金薔薇》を中心とした面々。アスクレピオスに気付いて嬉しそうに手を振るのは、例の玉子焼き好きな、翡翠だ。子供のようにきらきらと目を輝かせているのがわかる。一緒に飲んでいたベルンシュタインや、《暁の比翼》のジゼルやニーナ達も顔を上げる。よ、と、軽くアスクレピオスは手を上げて。
「盛り上がってるなー。お弁当のお裾分けだぜー」
「待ってました! アスクのお弁当、楽しみにしてたんだよー?」
「ああ、料理上手だと聞いている。楽しみだな」
 きらきら笑顔で答える翡翠に、ベルンシュタインが続いて。アスクレピオスが弁当の包みを広げると、わあ、と歓声が上がる。
「おいしそう…アスクさん、お料理が上手なんですね」
「…それに、きれい、ね。いい、匂い」
「流石ですね。尊敬、します」
 《暁の比翼》のニーナが身を乗り出すと、ジゼルと空も歓声を上げる。
 そんな中、早速箸を伸ばす翡翠。玉子焼きをつまむと、ぱくりと口に入れる。味覚機能がとらえたのは、優しくて旨味の深い、どこか懐かしい味わいの玉子焼き。
「……美味しい! アスク、流石だねえ」
「んっふっふ。この玉子焼きは自慢だぜ〜♪ ほんのりと甘かろう!」
「うんー、これこれー! 俺こういう玉子焼き大好きなんだよねぇ。幸せー」
 言って笑顔を浮かべる翡翠に、ふふん、と胸を張るアスクレピオス。
「どんどん食え! 俺達の分はちゃんと確保してあるからな。他の皆もよかったら遠慮すんなよー」
 その声に集まってくる面々。ほどよい甘みと味付けのコツをメニューに活かす算段か、作り方を聞くロザリンドや、美味しそうな匂いに鋭く反応してやってきたもよぎやアリサ、黙々と箸を伸ばすアレイに囲まれて、あっというまに弁当の周りは賑やかに。

 そんな横、ちゃっかり確保してきた玉子焼きとウインナーを手に、涼しい顔で砂糖入りのウォトカを飲んでいるベルンシュタイン。
 その皿の玉子焼きに横から箸を出しながら、翡翠が首を傾げる。
「そういえば、ベルンってお酒強いんだっけ」
「あまり強い方ではないぞ。下戸のお前よりは十分に強いがな」
「下戸じゃないもんー。弱いけど好きだもんー」
 むう、と頬をふくらませる翡翠だが、その頬は僅かな日本酒で既に赤く染まっている。一方、顔色一つ変わっていないベルンシュタインは。
「それを下戸というんだと本で読んだぞ。ちなみに俺なら、ウォトカのオンザロックを5杯はいける」
「それめちゃめちゃ強いじゃない」
「え……十分以上に強い方なのか、これは。知らなかった」
「相変わらず、ベルンは変なところが世間知らずだよねえ…」
 言いつつも楽しそうに、翡翠はベルンシュタインの空いたグラスにウォトカを注いだ。

 日本酒にはとっときの、塩と味噌に漬けておいたチーズ。
 ワインにはフルーツや生ハムチーズ、その他諸々。
 秘蔵の日本酒やワインを並べ、
「せっかくやし、ね」
 と笑う煉華に、酒飲み達が目を輝かせる。
「ノンアルコールのものも作れるように、支度してありますぇ。姫さん達も、遠慮なく」
 色鮮やかなシロップやジュースに果物、カクテルグラスを並べる煉華に、少女達の表情も輝く。
「煉華さん、これもこれも!」
 と、差し出されたのは、リーリヤのウォトカ。
 お酒が好きなこの二人、早々に意気投合し、リーリヤの簡易酒場に、煉華が手を貸す形である。
「カクテルも、ノンアルコールもお任せですよ。お酒を飲む気分だけ味わいたい、とか。ガンガン提供しますよー?」
「あぁでも、未成年の姫さんたちはカクテルは駄目ですぇ?ノンアルコールで。翡翠の旦那が怒られますからなぁ」
 くつくつと笑う煉華。
 可愛らしい名前と綺麗な色のノンアルコールカクテルに、少女達が瞳を輝かせる。
 ジゼルには、その炎の髪に似たオレンジの「バージン・ブリーズ」を。
 ニーナには、可愛らしい名前の「シンデレラ」。
 空には、ブルー・キュラソーのシロップを使った、爽やかな後味の空色のドリンクを。
 慣れた手さばきでドリンクを作る煉華に、ふわり、氷色の少女が、簡易カウンターに肘をかけて、その顔を見上げた。浮かべるのは、悪戯っぽい笑み。
「オヤ。見事だネ。わたしにもひとつ、作ってくれないかナ」
「お酒、大丈夫なんです?」
「一応成人済みだからネ。そこまで強くはないケド」
 それなら、と、煉華は少し考えて――青いリキュールと、ジュースを選んでシェーカーに注ぐ。
 リズム良く振られたシェーカーから、美しい淡水色のカクテルが、ショートグラスに注がれて。
「『サフィアン・クール』というカクテルです。姫さんの綺麗な髪の色に、ぴったりかな、って」
「素敵、だネ。嬉しいよ。……ええと」
「煉華、ですぇ」
「ライサ、だヨ。煉華、ありがとうネ」
「こちらこそ、ですわ。こんなかわいい姫さんと、お知り合いになれますからなぁ」
「可愛い、とは照れるネ。……ありがとう、ダ」
 言って、ライサは「サフィアン・クール」を口に含む。僅かな甘みとすっきりとした風味が広がる。アルコール度数は、それなりに高めのようだ。
「ふふ。あんまり美味しいお酒を出されると、酔っちゃうカモしれないネ。甘えちゃうカモ」
 幼く見える容姿と裏腹に、艶めいた視線を受けて、煉華はくすくすと笑う。
「姫さんなら大歓迎ですわ。楽しいお酒にしましょうなぁ」
 答えた煉華もまた、ゆったりと微笑んだ。

「毎度ありがとうございます、G.O.D.S.です!」
 そんな中、元気いっぱいに現れたのは、銀河系で知らないものはいないあのユニフォーム――G.O.D.S.フードデリバリー事業部制服、すなわち例のピザ屋の制服を纏ったティル・ナ・ノーグ本人である。
デリバリー用のピザの箱を抱えたまま、腕時計にちらりと目を落とす。
「……ふむ、253秒か。発艦シークエンスはもう少し縮められそうだね」
「え、誰か頼んだ?」
 と、いくつめかの玉子焼きをもぐもぐしていた翡翠が驚いて面々を見渡すと、手を挙げたのは命蓮。
「俺のおごりだ。お勧めらしいぞ」
「へえ、詳しいねぇ。さすが銀河で顔広いだけあるや」
「そうでもないさ。ジェンシァンが、お花見に行くならG.O.D.S.の期間限定春メニューを頼めとうるさかっただけだ」
「お花見にはぴったりのメニューだと思うよ。さあ、ご注文のピザだよ。召し上がれ!」
極上のスマイルと共に広げられたのは、これまた極上のG.O.D.S.人気の春メニュー。
「春色スタンダード」と名付けられたピザは。G.O.D.S.この春の一番人気。
春を感じさせる桜色の生地は、紅麹を少々使ったもの。
桜チップを使ったスモークペパロニに、スタンダードな素材で焼き上げ、アクセントに塩漬けの桜花弁を少量乗せたピザは、見た目も味も春満開、お花見にはまさにぴったり。
もう片方の「和風桜エビ」は、桜エビとしらすが桜の花弁を思わせる和風ピザ。シンプルな味付けが優しくも、特製わさび醤油ソースがぴりりと香る、日本酒にもぴったりの逸品。
「…美味しい!」
 「春色スタンダード」を一切れ口にしたニーナが、嬉しそうに頬を緩める。
「僕はこっちが好きかも。さっぱりしてて美味しいや」
 と、こちらは「和風桜エビ」の二切れめに手を出すカノン。
 その側では、「こういうピザもありじゃな」と、何やら考えるように食べ比べているロザリンドの姿もある。
「ティルも一緒にお花見していかない?折角だしさ」
 声をかける翡翠に、ティルは颯爽とした笑顔で答える。
「ボクには仕事があるからね。こういう時はかきいれ時、今日は遠慮しておくよ。あ、最新のメニュー付き、チラシも置いていくからね!」
 そういってウインク一つ。
 風のように立ち去ったティルに、
「あの姿勢、なかなかイイデスネー。好感度高いデスネー」
 思わずそんな言葉を送るゴンちゃんだった。

 寄り添うジゼルとニーナ、それを見守るようににこにこと日本酒を楽しむ煉華。
 結果的にほぼ全チームが合同で宴会を開いている中、《暁の比翼》の面々は、親しげに肩を寄せあっている。その中に混ざり、命蓮の姿もある。
「みんな、楽しそう、ね」
 たこやき、やきそば、おこのみやき。
「買ってきた、の。皆で、食べましょう」
「あ、私も、お弁当…作ってみたんです、けど、あんまりうまく、できなくて」
「おつまみも、まだまだありますぇ。ノンアルコールのカクテルも」
「ソフトドリンクも色々とあるぞ。ジュースでもコーラでも」
「命蓮の旦那は呑まれませんの?」
「酒は苦手でな」
 わいわいとお弁当や屋台の戦利品、おしゃべりを楽しみながら。
 仲間たちと笑い交わしながら、空はふと、不安な気持ちになる。
 行方を見届けたい世界があって、見守りたい人達がいて、幸せで。だから――
「……空さん、空さん」
 ニーナの声に、空はふと我に返る。
「どうしたんです、か?」
 目の前には、不器用ながら色とりどりの料理の詰まった、お弁当箱。
 焦げていて不格好なものもある。おそらくニーナが作ったものだろう。
「…元気、無いんですか…?疲れちゃいました、か?」
 お弁当箱を手にしたまま、心配そうに首を傾げるニーナに、空はいつものように……ゆるやかに、穏やかに、けれどどこか寂しそうに、微笑んだ。
「大丈夫ですよ。なんだか……すごく、幸せだから」
 そう言って、空は星空を見上げる。
「僕はこれからも、皆と一緒にいてもいいのだろうか、って」
 不安気に、思わずぽつりと呟いて。
 吸い込まれるように真っ暗で、一面に煌めく星の海に、桜が散る。
「……いい、んです」
 少女の口調は、常には似ずに、不器用ながら強い決意を秘めていた。
「空さんは。空さんの居場所は、ここ、なんです」
 ニーナは言う。かつて居た場所を捨て、ジゼルと共に宇宙へ向かった。その時に、自分達の居場所など、どこにもなかったのだと。
 それが命蓮に助けられ、煉華に助けられ、沢山の人に助けられて、《暁の比翼》は出来た。
 だから。
 いつかの自分達と同じように。
 空の居場所も、ここであってほしいと。
「空」
 いつしかジゼルもまた、空の傍にいた。いつもの通りの、けれど真剣であることは、その視線で判る。
「空は、きっと、辛い思い、沢山。だから、ここ、帰る場所に、なる、わ」
「帰る、場所……」
「そう。空、おかえり、言う。私達、ただいま、言う、わ。……そういう場所、なる。私達が」
「家族、やね」
 煉華がふうわりと、優しく言葉を重ねた。
「……家族」
「そ。一緒に暮らして、一緒に過ごして、一緒にごはん食べて。僕は、家族やね、って思うんよ。このチームのこと。家族が増えていったら、こんな楽しいこと、ありませんやろ?」
 言って、蓮華は微笑む。
「……横からだがな。男の居場所は、自分で決めるものだ、と俺は思う」
 冷やした緑茶を片手に、命蓮が言う。
「……居ていい、ではなくてな。空、お前が決めるんだ。自分の居場所を」
 守りたい場所を、守りたい人を。
 その言葉に、はっとしたように、空の表情が変わる。
「だから……空さんが、よかったら。これからも、一緒にいたい、です」
 小さなリベルノイドの少女が、ぎゅっと空の手を握る。機械種の身体、それがとても暖かかったのは、きっと、体温機構だけではなく――
「……はい」
 胸の奥に灯った温かい想いを確かめるように。
 空は、仲間を――家族を見渡して、今度は心から、笑顔を浮かべた。
(……立派なブレイカーになったな、ジゼル、ニーナ)
 その姿を見て、命蓮もまた、感慨深げに微笑む。
 思えば彼女達が宇宙に出てすぐの頃。
 自分達のことで精一杯で、それでも誰かを助けたくて、必死に前に進もうとしていた彼女達を、放っておけないと思ったのだ。
 そのふたりがこうして、仲間に囲まれ、そして仲間を励まそうとしている。
 その成長が嬉しく、ほんの少し寂しくて、でも感慨深くて。
 命蓮は目元を緩めると、冷茶のコップにそっと口を付けた。

 わいわいと桜の下で賑わう面々を見つめながら、アメテュストは一人、赤い欄干の橋の上にいた。
 はらり、はらり、桜が舞う。
「どーしたのっ、アメ。そんなところで黄昏れちゃってさ」
 聞き慣れた声に振り返ると、そこにはいつものように柔和に笑う、翡翠の姿。
 「あぁ、いえ……。私は……」
 手にしたワイングラスに、ひらりとひとひら、花弁が落ちて揺れる。
「私は……」
 ずっと胸に秘めていた思い。
 「機械種以外の、「オトモダチ」が、欲しい」。
 けれど、受け入れられるだろうか。そのことが、少しだけ怖くて。
 長い睫毛を伏せたアメテュストに、翡翠はいつもの、何の不安もない、穏やかな笑顔を浮かべる。
「大丈夫だよ、アメ。ほら、ちょうどベルンもいるし、それに、みんな。待ってるよ」
 皆の方に向けた身体の、その背中が、とん、軽く押し出される。
「行ってらっしゃい」
 声に、後押しされるように。
 踏み出した先で、幾人かが顔を上げる。
 見覚えのあるもの、ないもの。
「おや、また可愛い姫さんやねぇ」
「キレイどころは大歓迎だからナ」
 酒を酌み交わしていた、ジェネティックとニューエイジの女性が声をかけ。
「よかったら、座りませんか?ベルンさんや翡翠さんから、お話は聞いていたんです」
 黄色いサングラスをかけた、黒髪の少年が席を空ける。
「へぇ、この姫さんが。噂に聞いとったのと、イメージ違いますなぁ」
 ころころと、鈴を鳴らすように煉華が笑う。
「とんでもない女傑だと聞いていたが、ちょっと意外だったナ。まあ、どうぞよろしく」
「もう…皆さん、一体どんな噂を」
 赤面するアメテュストに、まあ飲みなよ、とリーリヤがウォトカのグラスを渡す。
「アメテュストさん、だっけ。アメさんでいいのかな?まあ、飲んだらお友達だって」
「友達…その。私、『オトモダチ』に、なりたくて。皆さんと」
 振り絞るように、戸惑うように口に出した言葉に、皆の雰囲気が和らぐ。
「友達、ね」
 ジュースを飲みながら、カノンが気楽そうに笑う。
「いいんじゃない、一緒にお花見したら友達で。だって、友達って、そんな堅苦しく決めるもんじゃないっしょ」
「お主は、一歩踏み出したんじゃろう。皆、それを待っていたのじゃからな」
 桜の紅茶を手に、ロザリンドが言う。
「おばさんのくせに、手がかかりますの」
「…もう!テューは本当に、可愛げがないわね!」
 二人のやりとりに、皆が笑って――宴もたけなわ。

 はじめは二人だけのつもりだったお花見だが、見知った顔もいるブレイカー達の中で、なんやかんやとアリサももよぎも、大人数の輪の中にいた。
 屋台で仕入れてきた戦利品を広げて、ゆっくりと羽根を伸ばす。
 ……見上げれば、視界いっぱいの星空に、きらきらと光を放つ桜色。
 ふわりふわりと風が吹いて、桜が踊るように散る。
「……とっても素敵」
「幻想的で、素敵ですよねえ」
 アリサの言葉に、もよぎが応えて。
「桜色って幸せの色、って感じがするよね」
 普段から桜の髪飾りを愛用する相棒を、思ってか思わずか。
 そんなアリサに、もよぎは優しく微笑んで。
「ええ。また来年も見に来ようって、そう思います」
「こういう日々が長く続くよう、これからも頑張らないとね」
 はい、と、もよぎは頷く。
「……食べましょうか!」
「そうね。まずはラムネで、かんぱーい、っと」
 そして、いつもどおりのふたりのやりとりは、賑やかに続いていく。

 そんな中、アルビレオはグラスを手に、チームの間を回っていた。
「ウォトカ、ワインに…日本酒も飲んでみたいな」
 そうひとりごちて、足を向けるのはリーリヤの簡易屋台。軽く手を上げると、リーリヤが明るい笑顔で応え、煉華がはんなりとした笑顔で迎える。
「アルビレオさん、でしたよね!ご注文は?」
「ふふ、おすすめ、いろいろとありますぇ」
 二人の言葉と並んだ色とりどりの瓶は、目移りするには十分。煉華のお勧めだという日本酒をグラスに受けて、見渡せば、少年少女達の中に見知った顔がある。翡翠と、霧谷・命蓮――その名前はアルビレオも知っている。軽く挨拶して乾杯すれば、彼方も此方の名は知っていて。
「アルビレオ。名前は知っている。あんたのような男と、一緒に仕事が出来たらな、と思っていたんだ」
「こっちこそ。新月会戦の話は聞いている。仕事で会う事があったら、よろしくな」
 それぞれに銀河で活躍する身だ。命蓮の言葉に、アルビレオも応える。そのやりとりを見ていたのは、《暁の比翼》の少年少女達と、テュルキース。
「アルさん、ですよね?凄い方だって、聞いてます。えっと、わたし、《暁の比翼》の、ニーナ、です。それで…」
「アルビレオ。信頼できる、聞いている、わ。……ジゼル。よろしく」
 白い髪の少女がそう言って、黒装束の少女の手を引く。黒装束の少女――ジゼルはそう言って、小さく会釈して。白い少女の傍らにいた、鮮やかな青い髪の少女がぽん、と手を打つ。
「アルビレオ! ベルンのトモダチですの。いつもベルンがお世話になってますの」
「世話になってるのは、俺の方こそ。テュルキースだよね」
「そうですの。僕がベルンの恋人のテュルキース、テューでいいですの」
 そう言って胸を張るテュルキースに、サングラスをかけた温和な少年は苦笑して。
「北条・空といいます。僕もアルさんのことはかねがね。……僕達も、《星煌旅団》の皆さんに追いつけるように、がんばりますね」
「楽しみだな。でも、無理だけはするなよ」
「はい。……僕の、家族、ですから」
 言って微笑んだ空に、アルビレオは力強く、肩を叩いた。

「おぉ、アルビレオ。久しいな」
「お久しぶりです、アルビレオ様」
 次に顔を合わせたのは、金の少女と黒い球体型アンドレイター――《金薔薇》のロザリンドと、オブシディアンだ。
「久しぶりだな、ローザ。皆、元気にしてるか?」
「お陰様で、な。遥も皆も今まで通りに過ごしておるよ」
 そう言って微笑むロザリンドは、紅茶を一口口に含む。
「ん、あんたがアルビレオか」
 と、顔を出したのは、黒髪の男。
 見慣れない乳白色の酒を手に、赤い顔でアルビレオを見つめると、納得したように頷いて。
「アレイだ。うちのローザから名前は聞いている。一杯どうだ?」
 と、勧められた乳白色の酒、ラクは、独特の薬草の香り。慣れない味に思わずむせたアルビレオの姿に、アレイは楽しそうに笑う。
 そんなやりとりに、ふふりとロザリンドは笑うと。
「また協働することもあるじゃろう。その時は、よろしくな」
「そういうこった。よろしく頼む」
「こちらこそ。《金薔薇》の皆は頼りにしている」
 言って飲み干したラクの味は、独特だが――思い出に残る味になった。

 その近くで仲良くラムネと屋台のメニューを広げていたのは、仲の良い二人組だ。アルビレオが軽く会釈すると、二人も笑顔で応える。はじめましてかな、と、気安い感じで銀髪の女性が言って。《陽桜葬雪》というチームだと名乗る。
「アリサよ。よろしくー」
「もよぎです!よろしくお願いしますねー」
 銀髪の女性――アリサが気安く挨拶すると、黄緑の髪の女性――もよぎも続いて明るく声をかける。同じ色の猫耳と尻尾が揺れて、一本どうぞ、と勧められたのは、きいんと冷えたラムネの瓶。
「ありがとう。《星煌旅団》のアルビレオだ。以後よろしくな」
「よろしく。ま、こう見えて医者だからね。何かあったら来なさいな」
「はーい、ばっちり治療しますよー。採血もお任せです!」
「うちにもメディックはいるけど、うちは皆生傷絶えないからな……。何かあったら、頼りにさせてもらいたいな」
「任せなさいな。協働の時はお互い頼りになりそうね」
「楽しみにしてますねー。それにしても…」
 により、と笑って、アリサを見遣るもよぎ。瞳が輝き、ぴこぴこと尻尾が揺れている。
「いい血管ですよね」
「いい血管よねー」
「……刺したいですよねー」
「……刺したいわよね」
 刺していい?いいよね??と、妙にうれしそうにアルビレオの手を取るアリサともよぎ。遠目に見れば羨ましい状況かもしれないが、思わず危機感を感じるアルビレオだった。
 そこに、ひょこり、と現れた小さな影ひとつ。
「あれ。何やってんの?」
「カノン君ー。この血管、いいと思いません?」
「わかんなくはないけど、ここで採血してどうするのさ?」
 それもそうですよね、と、猫耳をへにょりとさせたもよぎの横で、少年――カノンは首を傾げる。
「着付けの時に会ったよね。カノンだよ。へぇ、君があのアルビレオかぁ」
「君こそ。《アノ・フリート》のカノン、これからよろしくな」
「うん、僕こそよろしくー」
 無邪気に笑ったカノンと乾杯すれば、続いて声を掛けてきたのは近くに居た男。ゴンちゃん――こちらは互いに顔見知りだ。もう一人のウォトカを呑んでいる男からは、早速ウォトカを薦められる。
「ラードスチだ、ラドでいい。普段はジュアスで戦っている」
 ジュアスか、と、アルビレオは思う。アルビレオも形は違うとはいえ、愛機を駆る身だ。ジュアスで戦う者の話を聞きながら、ウォトカで乾杯する。
「いつでもイイデスヨー。ローンも組めますカラネー、Mr.アルビレオもMr.ラードスチも、メンテナンスも、ウィジェに乗りたくなった時も。うちにおまかせデスヨー」
「俺はウィジェには乗れん身でな。だが、俺にはジュアスがある」
 ラードスチの話に耳を傾けながら、アルビレオは愛機に思いを馳せる。
(ウィジェ……か)
 アルビレオにもまた、愛機「ギュナー」がある。そこに去来したのは、どのような思いか。……けれども。
「まあ、呑め。美味いぞ、ウォトカだ」
「ウォトカか。是非、ご馳走になりたいな」
「ああ。あんた、いい奴だな」
 言われて、小さなグラスに並々と、透明な酒が注がれる。癖のない爽やかな、けれどアルコール度数の高いそれを煽ると。
 (そういえば、あの女の子も言ってたな。ウォトカがお勧めだって)
 ふと思い出すのは、簡易酒場を仕切っていた女性のこと。
 けれど、次々注がれるウォトカと会話のうちに、その記憶はすっかり離れて。
 愛機の事、互いの戦ってきた人生のこと……
 語り合ううちに、花宵はゆっくりと過ぎていく。

「花も綺麗だし、こうやっていつものーんびりくつろげたらいいんだけどね」
 賑やかな周囲から視線を離し。
 身体を伸ばして、頭上の花を見上げるカノン。
「カノン君も、何か飲みます?ジュースもいいけど、ノンアルコールのカクテルもありますよ」
「ん、じゃあ…何がいいかなぁ。なんか珍しくて、面白いや」
「これなんておすすめですよー。シャーリー・テンプル」
 リーリヤが勧めるのは、くるくると巻かれたレモンの皮が飾り付けられたノンアルコール・カクテル。
「うん、可愛くていいかも」
「でしょー?じゃあ、早速」
 そこに、耳に付けた――本人の言葉を借りれば「付けさせられた」通信端末が、カノンにだけ聞こえるけたたましい音波を発する。
「もう、なにさ。こんな時に」
「どうしたの?」
 尋ねるリーリヤに、カノンは
「《アノ・フリート》の偽物が見つかったって。しょうがないか」
 言って、するりと帯を外す。脱いだ浴衣を手早くバッグに詰め込む。――大丈夫、今度はきれいに着付けられる。命蓮に教えてもらったコツは、しっかり覚えているから。
「また何かあったら遊ぼう!」
 言い残して、脚部のジェットを起動させる。轟音と共に、アンダースーツ姿になったカノンは手を振って、風のように退散していった。

「春風?」
 ふ、と、ニーナが呟く。
 コロニーに吹く風。
 それは、通常は空気循環清浄用ユニットが稼働する上での空気の入れ替えに過ぎず、花が散るような強い風が吹くことは、一般には起こらない。
 けれど。
 ざあっと枝を鳴らす風に、満開の桜が吹雪のように散る。
「この季節だけね、こうして風を吹かせるんだって」
 翡翠は話す。このコロニーの人々は言う。故郷の花はこうして散ったのだと、この散り際が美しいのだと。
「サムライはね。桜の花に例えられたんだって。この散り際を」
「まだ散る気はないがな。……さて」
 命蓮は、愛刀の具合を確かめると、すっ、と立ち上がって桜の下へ。
 そこは僅かにスペースが空いており、丁度舞台のような様子だ。
「翡翠、そろそろいいだろう?」
「そうだね。いい頃合かな」
 微笑んで、翡翠もまた、愛用の二刀を手に取る。
「あら。何が始まりますのん?」
 のんびりとした煉華の声、きょとんと見上げるニーナとジゼルの横で、空が居住まいを正す。
 命蓮が持ち込んだ旧型のラジカセ。レトロな「再生」のボタンを押せば、僅かにノイズ混じりの、極東J国風アレンジの音楽が流れる。
 それは時に緩やかに、時に激しく。
「さて……やろっか」
「あぁ。魅せようじゃないか」
 そう言って、天神差しの一刀と、二刀の刀が抜き放たれる。
 動いたのは、どちらからだったか。流れるような動きで三つの剣が舞い、時折きん、と澄んだ音。刀が照明を跳ね返し、きらきらと輝く。――剣舞だ。
 命蓮は一刀の抜刀術による流麗な剣術を操り、翡翠は二刀流による変則的な剣術を扱う。けれどどちらも優れた使い手だ。舞うように繰り出された翡翠の「暁雲」を、命蓮は流れるように受け流し、「明刃」が閃いて、それを再び翡翠の小太刀、「墨桜」が切り結び、受け流す。
 音楽と共に、時に静かに、時に激しく。着物の裾が翻り、刃が煌めく。
「――すごい」
 空が、魅入られたように呟く。剣と刀。同じ武器ではないものの、剣を使うものとして、サムライ同士の戦いには興味があった。
 同じように兄弟剣「プロミネンス」を扱う空にはわかる。この二人の技量が、そして引き絞られた刀の軌跡の美しさが。とりわけ、命蓮の刀捌きには無駄がなく、美しい。
 ――そして。
「たのしい、のね、ふたり」
 ジゼルが呟く。
 そう、二人の姿は、どこまでも踊るように鮮やかで。
 表情も真剣でありながら、輝くようにきらきらと――
 舞う二人の姿に彩りを添えるように、薄紅の花がはらはらと散った。


=====
A.A.0085/03/29
P.M.21:00
中立コロニー「吉野」
桜舞公園
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「それでね、ベルンってばひどいのですの。この間だって、おばさんにばっかり優しくて、僕には優しくしてくれないですの」
「……意外、です。ベルンさんって、そういうところ、ないのかなって思ってました」
「ベルンは素敵ですの!でも、僕だけを見てほしいのに、そうしてくれないですの」
 《暁の比翼》の面々が、飲み物を手に話を咲かせている間。
 むくれて下を向いたテュルキースの髪を、小さな手がそっと撫でた。
 ニーナは優しく笑うと、テュルキースの瞳を覗きこむ。
「テューさんは、可愛いです。だから、がんばればきっと……です」
「きっと……?」
「きっと、思いは叶うって……叶ったらいいな、です」
 言って、テュルキースの手を取るニーナ。その穏やかな表情に、テュルキースは悪戯っぽい表情を浮かべて、尋ねる。
「ニーナには、好きな人はいないですの?」
「好きな…人?」
「ですの。大切で、一緒にいると嬉しくて、自分だけを見ていて欲しい人ですの」
「……大切で、一緒にいると嬉しくて」
 視線を巡らせた先には、黒装束に身を包んだ少女の姿。
 ロザリンドと話し込んでいるその少女――ジゼルの姿に、ニーナは微笑む。
「……私にも、います。だれより一番、大切な人」
「どんな人ですの?」
 瞳を輝かせて尋ねるテュルキースに、ニーナは困ったように頬を染めると。
「私の恩人で、大好きな人で、可愛くて、優しくて、強くて……一番、大切な人です」
「もう。ニーナってば、のろけですの」
 青の瞳と、薄紫の瞳が交差して、少女達は額を寄せあってくすくすと笑い合う。
 ひとしきり笑いあった後。
 ふと、彼女には珍しいような、優しい表情をテュルキースは浮かべて、ぽつり、と呟く。
「……嬉しいですの」
「……え?」
「ニーナと、こうやって……普通のお話をできるのが、嬉しいですの」
 テュルキースの表情はどこか寂しげで、けれど嬉しそうで。
 今の時間を愛おしむように、そっと青の少女は瞳を細める。
「トモダチ、って、ずっと憧れていたのですの」
 白の少女に出会って、リボンを貰ったその時から。
 目覚めてから、ずっと、戦って。ただひとりの人に思いを寄せて。仲間も、「トモダチ」も、いらないと思っていた。その人からの思いだけがあればいい、と思っていた。
 けれど。
 目の前にいる、少女の姿。他愛もないことを話し、笑い合える人。――「トモダチ」。
 その人と出会えて、自分は少しだけ、変わることができた。……だから。
「ニーナ。その……ありがとう、ですの」
 頬を染めて、常になく真剣な表情で、それでも微笑んだ少女に。
「……私も、ありがとう、です。それから…これからも」
 白の少女は微笑みを返して。
 はらはらと揺れる桜が、二人を優しく包んでいった。

 《暁の比翼》と、仲間達の楽しげな姿を眺めつつ、煉華はそっ、と、桜色の硝子杯を手に取る。
 花ひとひらがひらりと浮かんだそれは、煉華とっておきの日本酒だ。
 リーリヤの、ウォトカで満たされた盃と何度目かの乾杯を交わして、煉華はそれを口に含む。芳醇な香りが広がって、目を閉じて開けば、そこには星空に浮かぶ満開の桜。
 天に桜、地にはそれぞれ趣の異なる花々、それにうまい酒。
「なんとも贅沢な時間、やねぇ…」
 と、今を、そしてこの風景をいとおしむように、煉華は目を細めてそっと笑う。
「煉華ー。もうちょっと、飲みましょうよ、ねぇ。お酒は晩酌の長……ではなくて……まあいいわね」
「ソウダゾ。一人で、考えてるんじゃあないヨ」
 そこにしなだれかかるように寄りかかるのは、紫水晶色の髪が美しい美女と、氷のような美貌の少女。
 アメテュストは煉華の桜色の硝子杯に冷酒を注いで、艶やかに笑う。笑い交わした煉華もほんのりと目元が桜色に染まり、匂い立つように艶っぽい。
「あらあら。美しい姫さんにお酌してもらえて、幸せやねぇ、アメの姫さん」
「私こそ、だわ」
 アメテュストは恥ずかしそうに、自分の硝子杯を口元に運んで。
「本当に。私達、トモダチ……って、言ってもいいのかしら。もしそうなら…」
 嬉しい、わ。
 頬を染めて、けれどどこか幸せそうに呟くアメテュストに、煉華は胸の奥が暖かくなる。
「トモダチ、ですぇ。こうやって、一緒に飲んで、楽しい思い出、作って……それがトモダチじゃなくて、何ですの?」
「ええ……そう……そうね。嬉しいわ……」
 目元と頬を、淡い桜色に染めて。
 そう呟いて盃を空けるアメテュストと、煉華の間に入るように、ライサは小さな身体を滑り込ませる。
「何ダ、わたしも混ぜロ。サミシイじゃないカ」
「寂しい……? 姫さんも、かわいらしいですなぁ」
「そうだゾ、わたしは可愛いだロウ。だから、構エ、ダ」
 言いながら煉華とアメテュストに抱きつくライサを、ぽふぽふと二人は軽く抱き返して。
「ふふ。なんだか初対面の印象と違うわね」
 アメテュストの言葉に、ライサはふ、と息を吐く。抱きつく腕が、少しだけ強さを増した気がして。消え入るような小さな声が、ふたりの耳にそっと届く。
「独りは……嫌いナンダ。こうしていると、なんだか安心するヨ」
「……独り……」
「……そう、やね。独りは、寂しいから」
 二人の言葉に、ぎゅっと、温もりを確かめるようにライサは二人を抱きしめて。
「今だけで、いいカラ……一緒に、いてくれ、ナ」
 その言葉に答えたのは、ぎゅっと暖かな感触と温もり。
 ライサは夢見るように、安らぐように、瞳を閉じた。

「おい」
 酔眼の男にずいっ、とショットグラスを差し出され、リーリヤは目を瞬いた。
「ウォトカだ。……美味いぞ、呑め……ほら……」
 ろれつの回らない声で言って、男はずるずるとそのまま、リーリヤの設置した簡易カウンターに寄り掛かる。
「ちょっと、あんた。あんたってば」
 リーリヤが呼びかけても反応は、うん、呑め、と、ぼんやりしたもので。
「何、こいつ酔っぱらい過ぎ。誰か連れはいないの?」
 辺りを見回すリーリヤに、丁度近くでゴンちゃんと酌み交わしていたアルビレオが答える。
「いや、詳しい事情は知らないな。ラド、って言ってたか」
「へえ、こいつ、ラド……ラド? ああ、そういう名前なんだ。で、酔ってるよね?」
「酔ってマスネー。拘束しときマスカー?」
 にょろりと片手を触手に変えるゴンちゃんを片手で制して、アルビレオが言う。
「いや、それはマズいだろう。けど、俺もそろそろ戻らないといけないし」
「はぁ…しょーもな。しょうがないなー。ほら、あんた、行くよ」
 言って、リーリヤは男――ラードスチの手を取る。とりあえず、酔い潰れて休んでいる連中のところまで連れて行こうとして――不意に、強く手を握られた。
 驚いて、リーリヤはラードスチを見る。ラードスチはどこか懐かしむように、強く、リーリヤの手を握る。
「懐かしいな、この感覚……掌に覚えが……」
「……吐いたら殺すから」
 毒づいて、ずるずると引きずるようにラードスチを連れて行きながら。
(懐かしい――懐かしい、か。……気のせいだね、きっと)
 リーリヤは心の中で呟くと、桜吹雪の中を二人、歩いていく。
 懐かしいかはわからないけれど――温かい手の温もりを、感じながら。

「よう」
 不意に掛かった声に、サザメは寄りかかっていた桜の幹から身体を起こす。
「……アルビレオか。遅かったな」
「色々と捕まってな。まあ、楽しかったよ」
「そうか」
「アスクとレンカは?」
「あっちで飲んでる」
「あいつららしいな」
 言いながら、アルビレオはサザメの横に腰を下ろす。無言で、す、と差し出された三色団子を頬張ると、アルビレオは桜を見上げた。思えば会場に着いてからドタバタしていて、こうしてゆっくりと花を眺めるのはこれが初めてのような気がする。
 宝石のように輝く星を包むようにライトアップされた薄紅色の桜は、それ自体が光を放つように咲き誇り、ひらひらと揺れて落ちて。
「夜桜はいいよね、風情があってさ」
 同じように桜を見上げるサザメの横顔は、普段の強気でぶっきらぼうな、頼りになる戦士の姿とどこか違う、歳相応の少女のようで。
「……ああ。たまにはこういうのもいいな」
 ほら、と、アルビレオは、持ってきたグラスをサザメに差し出す。
「酒は呑めないぞ」
「わかってるさ。桜の紅茶のアイスティーだそうだ」
「……そうか」
 グラスを受け取って、ふたつのグラスが触れ合って。きん、と澄んだ音を立てる。
「……いいな、こういうのも」
「まったくだ……悪くないな、これが」
 視線を花から移せば、隣に座る青年と目が合って。
 ――本当に、こういうのも、悪くない。
 サザメは心のなかでそう呟いて、桜の香りの冷茶を口にした。


=====
A.A.0085/03/29
P.M.21:00
中立コロニー「吉野」
屋台エリア
=====

「アレイってば、何してるのー」
 聞き慣れた声に、思わずびくりと振り向くアレイ。
 視線の先には、白橡色の髪の見慣れた青年――翡翠だ。
「お、お前、何故ここに……」
「いやさ、剣舞も終わったし、ベルンがお酒のつまみに甘いものもっと欲しいっていうからさ」
 買い出しー、と笑う翡翠に、そ、そうか、と動揺した様子で、右手に持ったものを背後に隠すアレイ。
「あ、アレイ、今何か隠したでしょー。ほらほらー」
「隠してない。お前の気のせいだろ」
「隠したってー」
「隠してない!」
 と、背中に回り込もうとするもの一人と、背中を隠そうとするもの一人。
 不毛な、ぐるぐるとした攻防はしばらく続き……
「つーかまえた! ……って、りんご飴?」
「べ、別にいいだろう……りんご飴、好きでも」
「へー、りんご飴好きなんだー。ふふふー、忘れないね?」
「な、何だよ」
「別にー。かわいいとこあるなー、って思って?」
 にやにやと笑う翡翠に、アレイは真っ赤になって再びりんご飴を背後に隠す。
「……他の奴には、言うなよ」
「えー。別にいいのに」
「俺が良くない」
「んー。ならいいけど」
 でもさ。
「甘いものって、いいよね。なんだか心が嬉しくならない?」
「……そう、だな」
 そう言って、アレイはりんご飴を見る。……たまには、こんな日もいいだろう。
「……こうなったからには、甘いもの制覇だ。翡翠、付き合え」
「えええ!? 俺?」
「いいから行くぞ……。次はかき氷だ」
 言って歩き出したアレイは、常には無く和やかな雰囲気で。
 翡翠はその背中に、ふわりと微笑んで、足を進めた。


=====
A.A.0085/03/29
P.M.22:00
中立コロニー「吉野」
桜舞公園・丘の上の広場
=====

「ニーナ。一緒、お散歩、しない?」
 宴も少し落ち着いて来た頃。
 桜の下まで、いきましょう。
 ジゼルに差し出された手を取って、ニーナはふたり、桜の森を歩き出す。
 通路に当たる透明なフロア・パネルと、透明な天井から見える星空。
 ふたりきりで宙の中を歩いているようだと、思う。
 そのうちに辿り着いたのは、公園から少し外れた、小高い丘の上。
 ひときわ大きな桜の木が、広く枝を伸ばし、満開に色づいていた。
 「ニーナ」
 名を呼ぶのは、彼女にとって誰より大切な、パートナーの声。
 ジゼルは袖口からりんご飴をふたつ、取り出すと、片方を差し出す。
 先ほど席を外した時、こっそりと買って、袖に隠したものだった。
 「ニーナだけ、とくべつ」
 一番大事な人、だから。
 一番好きなもの、一緒、したくて。
 その気持ちが嬉しくて。
 思わず受け取る前に、ニーナはジゼルを抱きしめる。
 「……、びっくり、したわ」
 「だって……嬉しくて」
 りんご飴を受け取ると、ひとくち。
 甘くてみずみずしく、優しい――幸せの味に、表情が緩む。
 「幸せ、です」
 「そう。だから……一緒、したかったの」
 少女達は視線を交わすと、肩を寄せ合って微笑んだ。
 「……すごく、綺麗」
 視界いっぱいに広がる星の海、舞い落ちる桜の花びら。
 「……あの時、ニーナが助けてくれた」
 だから、この景色、ニーナと、見られるのね。
 思い出すのは、出会った日の出来事。
 地球でふたりが出会い、ニーナに意志が目覚めた日のこと。
 「……ううん。助けられたのは、わたし」
 ジゼルに出会わなければ、ずっと、ただの人形に過ぎなかった。
 「ジゼルに出会ったから、わたしも、この景色が見られるの」
 寄せ合った身体から、互いの温もりが伝わって。
 「……ありがとう、ニーナ」
 「ありがとう、ジゼル」
 これからも、宜しく、ね。
 「ずっと、一緒、よ」
 「……うん。ずっと、一緒」
 二人は寄り添ったまま、しばし、星空と桜を眺めていた。
 春風に吹かれて花吹雪が、二人を包み込むようにやさしく踊っていた。


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A.A.0085/03/29
P.M.22:00
中立コロニー「吉野」
桜舞公園
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 僅かに人も少なくなった宴会場に、ふらりと現れたのは、女が一人。
 服装は飾り気のないシャツとパンツ姿。
 そして、どう見てもこの場にそぐわないのは……両手にぶら下げた、旧式の大口径銃と機関銃。
 そんな、桜の園に見合わない出で立ちの女が、誰にも目に留まらずに現れたのは、女自身の持つ能力の片鱗か、それとも宴の雰囲気がそうさせたのか。
 女――千景はすたすたと、殆ど食べ終わった甘味の皿を前に、顔色一つ変えずにウォトカを飲み続けている銀髪の男――ベルンシュタインに向かうと、かちり、と目の前から堂々、大口径銃を突き付けた。
「オニーサン、無防備ね。殺されたい?」
「……驚いたな、千景の姐さん。あんたが来るとはな」
「あれだけ開放チャンネルで大々的にやっておいて、あたしが見てないとでも?」
「それもそうだな。あいつにも言っておかないといかんか」
「ちょっとぉぉぉ!? 何してるのー!!???」
 と、そんな会話に、恐ろしく慌てた様子で駆け込んで来た影がひとつ。――翡翠だ。
「ああ、お帰り。甘いモノはまだ売っていたか?」
「あら、お使いだったの。お疲れ様」
「ああ、うん、はい、りんご飴。……っていや、そういう状況じゃないでしょ、これ!」
 とにかく、ふたりとも待って待って、と、ぐいぐいと身を挺して千景とベルンシュタインの間に入る。ある意味、捨て身の行動である。
「お前が大々的に宣伝を打ったからな、それで顔を出してくれたんだと。良かったな」
「そうね。ありがとうね翡翠、オニーサンと会わせてくれて」
「良くないし嬉しくないよ。とにかく、今日は戦闘は勘弁だからねっ。俺の人生にかけてっ」
「あんたほんとつまんないわね」
「つまんなくていいよ。千景の姐さんも、お花見楽しんでくれるならいいけど、ここで切った張ったの勝負はだめだからね」
「切った張ったの勝負じゃなければいいのか」
「よくないよ! ……あ。いや。いい案があるかも」
 言って、翡翠は近くで使っていた、小さなテーブルを引っ張ってくる。天板をくるりと返すと、それは緑の天鵞絨張りの面になる。
 そこに、じゃらじゃらと四角い駒をなにやら広げながら、翡翠は言う。
「麻雀って、知ってる?」
「知らん」
「なにそれ」
 間髪入れずに返された答えに、思わず翡翠がずっこけそうになる。
「……じゃない。いえ、知っているわよ、極東で流行った遊びでしょう。ルールくらいは判るわよ」
「俺は全くわからん」
「ベルンは今すぐルールを無線でインストールしてくればいいんじゃない?……とにかく、俺が言いたいのは。やるならこれで勝負しない、ってこと」
「……え、それで勝負ですって?」
 そんな血もオイルも硝煙のにおいもしないもので?
 呆れたように言う千景に、翡翠はわかってないなぁ、とひとつ頷いて。
「古来から、麻雀での勝負は命懸け。達人はこの牌一つに命をかけてきたんだよー?ある意味最も過酷な勝負かもしれない」
 いかにもそれらしく、真顔で告げる翡翠に、
「……命すらかける? この牌に?」
 千景は……銃をホルスターに仕舞うと、腕を組む。
「OK、ならいいわ。琥珀のオニーサン、翡翠」
 この勝負、受けようじゃないの。
「あたしが勝ったら、琥珀のオニーサンとのデート、認めてもらうわよ。勿論、期間はどちらかが死体かスクラップになるまでってことで」
「……おい、大丈夫なのか」
「……多分何とかなるんじゃない? ……多分」
「本当に大丈夫か……?」
 こそこそと話していたベルンシュタインと翡翠に、千景の、僅かに笑みを含んだような声が飛ぶ。
「あら、なによ。勝負と言ったら賭け事でしょう?あんたたち、戦いに出るのに命も賭けずに出ているとか、そんなあまっちょろいこと言ってるんじゃないわよね?」
「……こりゃだめだね」
「逃げ場はなさそうだな」
「ほら、あんたたちも賭けなさいよ。命? 金? 賭けるものはなんだっていいわ」
「しょうがないなぁ……」
「判った」
 真面目な表情で、ベルンシュタインが返す。
「こちらも賭けよう。あんたが勝ったら俺との勝負、横槍無しで一回を約束する。但し、俺が勝ったら。あんたとのここでのドンパチは無しだ」
「……俺も同じかな。千景の姐さんが勝ったら、一回ベルンとデートしていいよ。俺が勝ったら、ここでの戦闘は絶対無し」
「話はついたわね。それでいいわ…ところで、面子が一人足りないようだけれど」
「あ。……どうしようかな」
 首をかしげたまま固まった翡翠の元に、通りかかった影がひとつ。
「お前、いないと思ったら何を……手が空いてるのなら剣舞をもう一曲だな……」
「命蓮、ちょうどよかった!麻雀わかる?」
「麻雀?わからんでもないが、何がどうしてそういう話なんだ」
 言ってぐるりと一同を見回した命蓮は、そこに何気なく座っている女の姿に一瞬考え込み……翡翠に耳打ちする。
「おい……あれは、あの『千景』じゃないのか?」
「うん、その千景」
「それと何で麻雀勝負することになっているんだ」
「成り行き……かな?」
 その言葉に、思わず頭を抱える命蓮。
「まあ、武器でやりあうよりはマシだろうが」
 やるからには、命蓮も負けるつもりはない。
 そして、賭けるとしたら、命蓮にも賭けたいものが、ひとつ。
「それなら、だ。翡翠。俺が勝ったらもう一曲剣舞に付き合え」
「それはいいけどさ。俺、負けないよー?」
「さて、それはどうかな」
 にまりと笑った翡翠に、命蓮は不敵に笑って答えて、じゃらじゃらと牌を並べ出した。

「よ、ベルン。どうだ、調子は?」
 そこに立ち寄ったのは、アルビレオ。
 ああ、とベルンシュタインは軽く応じて。ふたつのグラスが、かつん、と音を立てる。
「悪くはない」
「相変わらず固いな……」
「そうだな。これから麻雀勝負で殺し合いらしい」
「……って、ちょっと待て、何をどうしたら麻雀が殺し合いになるんだ」
 思わず身を乗り出すアルビレオ。よく見れば麻雀卓を囲んでいるのは、かの有名な「千景」ではないか。この場が戦場にならないのが不思議ですらある。
「ああ、あいつが言っていてな。俺はこのゲームをよく知らんが、この牌に命を賭けるらしい」
「命を賭ける……? いや、ゲームだろう、これは」
 真顔で答えるベルンシュタインに、思わず額を抑えるアルビレオ。
「麻雀は良く知らないから参加はできないが……何だ、この殺気は?」
 なんでボードゲームでこんなに空気が張り詰めてるんだ!?
 アルビレオは一同を見渡す。
 事実、千景からは、ベルンシュタインに対しては勿論、他の全員にももれなく殺気が溢れ出ているし、アナログなルールブックをぱらぱらと確認しているベルンシュタインはともかく、あののんびりとした翡翠からも、穏やかな笑顔に反して「この場は絶対に譲らない」という殺気が見て取れる。そしてもう一人、命蓮もこと勝負に関しては、負けるつもりはないようだ。
 雰囲気だけ見たら、「これから和気あいあいと伝統的なボードゲームをやります」という風情からは程遠い…いや、ぴりぴりとした圧力までが伝わってくるようだ。何事だ、これは。
(まあ、ゲームで良かったというべきか……。ベルンと千景が本気で戦ったら、止められる奴なんていないからな)
 もう一度、アルビレオは卓を見渡すと。
「……健闘を祈る」
「ああ。ありがとう」
 再度グラスを合わせると、アルビレオはその場を後にする。
 ……勝負の行方を、心底心配に思いながら。

「そうだ」
 アルビレオを見送った後。
 思い出したように、ベルンシュタインは翡翠と、その傍らにいる球状のメカ、ネフライトに声をかける。
「ネフライト。こいつの撮影を頼んでもいいか」
 ベルンシュタインの言葉に、ネフライトは疑問そうに点滅する。
「……いや、姐さんがゲームをして、普通にしている所を、銀河ネットで流せば。少しは姐さんの悪評も落ち着くんじゃないか?俺の方の荷も降りる」
 その言葉に、……やはりネフライトは、首を傾げるように半回転する。
「いや、その程度じゃ無理じゃないか? ってさ」
「やるだけやってみようじゃないか」
「悪評でもあたしは構わないわよ、仕事が来るわ」
「俺が困るんだ」
 ふぅん、と気のなさそうに答えた千景をよそに。
「まあ、一応やってみよう?頼むね、ネフ」
 翡翠の言葉に、ネフライトは仕方なさそうに明滅し――

「……さて、準備は整った。親は俺からでいいか?……では」
 命蓮の言葉で。
 銀河系最強の二人を含む麻雀大会は、なんとものんびりしたような、殺気に満ちた雰囲気で始まったのだった。


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A.A.0085/03/29
P.M.23:00
中立コロニー「吉野」
桜舞公園・簡易麻雀場
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「ロンー!四暗刻単騎待ち!」
 言って牌を倒した翡翠に、千景がばぁん、と雀卓を叩く。
「ちょっと!何であんたが勝つのよ!おかしいでしょう!」
「だって千景の姐さん、待ってるの読みやすいんだもん」
「だからって何なのよ、その意味わかんない強運は」
 普通来ないでしょう、とむくれる千景の牌は、「清一色」と呼ばれる役…が、あと一歩で揃うところ。
「昔からお前は悪運だけはいいな、悪運だけは」
「それどういう意味さ、ベルン」
「そのままの意味だ」
「ほんとそうよね」
「気が合うな、千景の姐さん」
 仲良く言い交わす千景とベルンシュタインの横で、翡翠はにんまりと喜びを隠さない。
「ふふー。でも、こんな形で姐さんに勝てるとは思わなかったなー」
 にまにまと猫のように笑う。心底嬉しそうである。
「しょうがないわね。じゃあもう一局……次こそは勝つわ」
 じゃらり、と千景が牌を崩した、その時……
 翡翠の後ろ側に、近づく影ふたつ。
「ひしゅいー。どーん」
 背中から半ば抱きつくようにタックルを仕掛けてきたのは、アスクレピオス。そのまま、何故か腹筋をさわさわと触ろうとする。
「あ、アスク?どしたのさ、急、に……」
 突然の事態にうろたえ気味の翡翠に、アスクレピオスは持ってきたグラスを押し付ける。
「なぁにやってんだよぉ。おらー、のむぞー、うりうり」
「ひーすいー。あんたあたしの言うことが聞けないってーの、脳天撃ち抜くよ」
 そして、もう一人。
 美しい顔立ちにさらりと流れる長い紫水晶の髪の女性。しかし頬は真っ赤で、目は座っている。……アメテュストだ。アスクレピオスに押し付けられたグラスに返事も聞かずに日本酒を注ぐと、ほら呑めー、と有無をいわさぬ口調である。
「ちょっとまってアメ、性格変わってない?」
「あぁん?いいからお酌しなさいよ」
 うろたえている翡翠に、そのまま日本酒の瓶を押し付けると、そのままがっしりと腕を掴む。見た目は美しい女性といえど、優秀なリベルノイドである彼女にとって、たいして抵抗しない細身の男性を連れて行くのは、決して難しいことでもなく……
「ちょっ、ちょっとまっ、まってってあばばば」
 ずりずりと女性二人に、旧時代の異星人の如く連行された翡翠。
 悲鳴なのか抗議なのかわからない声が、だんだん遠くなり……
「あいつも受難だな……」
「……しょーもな」
 ベルンシュタインと千景の言葉に、命蓮ははぁ、と思わずため息をついた。


=====
A.A.0085/03/29
P.M.23:30
中立コロニー「吉野」
桜舞公園・丘の上の広場
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 「麻雀」での勝負がひと段落し。
 ベルンシュタインは、ふらりと宴席を離れ、小高い丘の上へと向かう。夜風に当たりたいような、そんな気分だったから、だ。
 そこには、先客がひとり。
「まさかあんたと出くわすとはな、千景の姐さん」
 振り向いた女は、くくく、と楽しそうに笑ってみせる。
「よっぽど縁があるんじゃない。うれしいわね、琥珀のオニーサン」
「……やらんぞ、ここでは。あの馬鹿が飛んでくるからな」
「やらないわよ。興が醒めたわ。ここじゃああんたも、本気出しそうにないし」
 言って、千景は春風に揺れる、長い髪を抑える。
「花を愛でる……か。俺には、よくわからんが」
「あたしもよ」
 言って、先刻まで勝負に興じていた場所を見下ろす。
 眼下には一面の星空と、雪崩れるように咲く桜。
 春風に吹かれながら、それを見下ろす、長い黒髪の女と、銀髪の男。
 まるで、ごくありふれた、男と女の風景にさえ見えただろう。
 次に会う日は、おそらく戦場。
 けれど、こういう日があっても、面白い。
 ほんのしばらく、けれど不思議に長い一刻。
 二人は並んで、その風景に見入っていた。


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A.A.0085/03/29
P.M.23:30
中立コロニー「吉野」
桜舞公園
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「ちょっと、あんた。大丈夫?目が覚めた?」
 視界にひょこりと顔を出したニューエイジの女性に、彼は一瞬、懐かしいものを見るように表情を緩める。
「あぁ、大丈夫だ」
「大丈夫な人が、そんなところでひっくり返ってるもんか。ほら、お水」
「大丈夫、だ」
「いいから飲みなよ。しょうがないなぁ、情けないったらないよ」
 しぶしぶと男は身体を起こす。ペットボトルの水を呷って、ふ、と、夢か現かわからない調子で言った。
「あぁ…雪だな」
「雪?」
 視線を上げたリーリヤの髪を、春風が揺らす。
 強い風に吹かれて、ひらり、ふわりと、一斉に桜の花が舞う。
 それは真っ白で、静かで、まるで……
「……雪か。そうだね、故郷の雪みたいだ」
 思い出すように瞳を細めると、男もまた、懐かしむように微笑む。
「あんたも、雪の国の生まれか。懐かしいよ」
「…あぁ。あんたも、か」
「そうだね。あまり、覚えてはいないけど」
 そうして、言葉は途切れ。
 男と女は、肩を寄せ合うように、その場で花吹雪を眺めていた。

「あるびれおー。おらー、どこいってらんらよー、もー」
「アスク?うおっ、何すんだ!?」
 言ってしなだれかかる紺の髪の女性を、アルビレオは軽く抱きとめる。
「飲み過ぎだネ。さっきから相当ゴキゲンだヨ」
 苦笑交じりに見上げるのは、小柄なニューエイジの女性。
 目が合って、アルビレオはため息をつく。
「程々にしろって言ったのに」
「寂しがってたヨ。アルビレオか。あんたの名前を呼んでいタ」
「さびしくなんかー、ないもーんだー。あるびれおー、ふっきんさわらせろー」
 と、アルビレオの腹筋に手を伸ばすアスクレピオスを、アルビレオは抱き寄せて。一緒に飲んでいたのであろう、頬を上気させた少女――ライサが、仲良しだネ、と、くすくすと笑う。
「私も誰かに甘えたいもんだネ。ねぇ、煉華?」
「えぇ、勿論ですぇ。可愛い姫さんのためなら、いくらでも」
 くすりと微笑んだ煉華に、これまた悪戯っぽく笑ったライサはぎゅう、と抱きついて。煉華がその氷色の髪を、さらさらと撫でる。

「ありゅびれおー。おらー、のむぞー、さわらせろぉー、おらー」
 抱きとめられながら、べしべしとアルビレオを叩くアスクレピオス。痛い痛い、というものの、実際には巫山戯たようなスキンシップだ。アスクレピオスが酔うとこうなることは、アルビレオも良く知っている。それにしても……
「……って、お前着物がはだけてるじゃないか。折角サザメが着付けてくれたって言うのに……」
 さすがに、着崩れて鎖骨と素足が露わになった着物姿には、思わず赤面するアルビレオ。複雑な気持ちなのは、飲み過ぎたアスクレピオスに対してか……それを他の人に見られたくないのかとふと考えて、アルビレオは慌てて首を振る。
「なんらよー。あるびれおー、おらおらー」
「ああもう、飲み過ぎだ。暴れるんじゃない!もう寝てろ」
 ぽふ、と、アルビレオはアスクレピオスの肩を引き寄せて、桜の樹の下に座ると……アスクレピオスの頭を、自分の膝の上に乗せ。そのまま、ぽふぽふと寝かしつける。
 思ったよりも大人しく、寝かしつけられたアスクレピオスは、赤い頬のまま、わずかに瞳を巡らせて。
「ありゅびれおー」
「何だ?」
「…………わす、れ。な……ある、び…………すぅ……」
 何かを言おうとして、そのまま寝入ってしまう。
 アルビレオは、その紺の髪を優しく撫でて、微笑して。
「……全く、風流とは程遠いな」
 見上げた視界には、酔いつぶれて寝息を立てるアスクレピオスと、煉華達女性陣と呑み交わしているレンカ、そして呆れたようにアルビレオと視線を交わして、苦笑してみせるサザメの姿。
「まぁ、こういうどんちゃん騒ぎも悪くないか」
 呟いて見上げる宇宙では、きらきらと星々が、笑い交わすように、アルビレオ達を見下ろしていた。

「姫さん達も、そろそろおねむ、やねぇ」
 ジゼルとニーナが、宴席に戻ってきて、しばし。
 大きな桜の下、星空に囲まれて、肩を寄せあってうとうとと微睡んでいるジゼルとニーナの姿に、煉華はゆるりと笑う。気付けば酔いつぶれて眠っている者達がそこかしこ、簡易屋台も、そろそろ店じまいの時間らしい。
「お名残惜しい、ですなぁ」
 煉華は、桜を見上げて呟いて。
「……またこうして、皆で、バカやったり出来たらえぇね」
 こうした何気ないひとときも、大事な記憶のカケラ、になっていくんやろね。
 言葉には出さぬ想い。この時を愛おしむように、煉華は桜を見上げる。
 一面の煌めく星空に、ひらり、ひらり。
「そうだね。また来年も……こうして」
 戻って、ウォトカを呑んでいたリーリヤが、そう応える。
 星の海、満開の花。舞うように散る桜、それ自体を留めおくことは、できなくとも。
「……忘れない」
 リーリヤの夢見るような呟きに。
 煉華は優しく、満開の花のように、微笑んだ。